インタビュー
2019年2月4日

野球は4番ピッチャー、空手や陸上でも活躍したスポーツ万能少年。でも中1でプロの夢は断念。元プロ野球選手・田中浩康(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #20 (2/4)

中学2年でプロ野球選手の夢は断念

――陸上でも期待されていたのに、野球の強豪校、香川県の尽誠学園高校に進学しました。

中学生のときは「野球を続けたい」「甲子園に出場したい」という思いを強く持っていたんです。なぜ陸上でなく野球だったのか……何よりも得意だったからでしょうね。小学生のときは4番でピッチャーで、小さな町の中ではありましたがずっと勝てていました。

ただ、中学1年のときにひじを痛めたんです。千葉で有名な整形外科に行ったら「野球をやめてサッカーにしたら?」と言われて。正しい投げ方が身についていなかったのかもしれません。成長していない身体には耐えられなかった。それで中学1年の約1年間は他のスポーツを楽しんだりして野球からいったん離れたんです。それが今思えばよかったと思います。どこか違和感があったら無理せずに休んだほうがいい。

――その後、中学2年で転校したタイミングで硬式チームに入団したわけですね。

硬式は近隣のうまい子が集まってくるので、入ったばかりの頃は選手のレベルの高さに圧倒されて、高い壁を痛感しました。野球を続けようかどうしようか真剣に悩むくらいの挫折感でした。前年にひじを痛めたこと、転校して環境が変わったこと、年齢的にも反抗期、いろいろなことが重なって、今思い返せばあの頃の自分は何かと戦っていたように思います。

あのとき野球を辞めていたら、その後何をやってたかわからない。グレてたかも(笑)。でも「野球が好きだ」という気持ちが勝ったから辞めずに乗り越えられた。野球で挫折し、野球で乗り切ったという感じです。ひじのことがあってその頃から内野手に転向し、だんだん気持ちも持ち直してきました。

――当時の夢はプロ野球選手ですか。

中学2年まではそう思っていましたが、挫折してプロ野球の夢は諦め、とにかく甲子園を目指そうと気持ちを切り替えました。高校時代も甲子園のことしか考えていない。大学受験のときも指導者から「大学で教員免許を取って帰ってこい」と言われていて、自分も高校の指導者になるつもりでいました。

明確にプロ野球選手になろうと思ったのは、大学に入ってからのことです。大学1年からレギュラーとして使われたんです。まさかすぐにレギュラーになれると思っていなかったので、「期待に応えたい、活躍したい」という気持ちが出てきた。六大学野球で活躍するということはプロを目指すということだな、と。

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