陸上大会で好成績を収めてもやっぱり野球、いつもワクワクしながらグランドへ。横浜DeNAベイスターズ・山崎康晃(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #23 (2/3)
野球を続けるためにたくさん母のスネをかじりました
――山崎選手が小学生のときに両親が離婚したと聞きました。
はい。離婚後は、お母さんが朝から夕方までの仕事に加え、深夜も仕事に出るようになったので、晩ごはんを一緒に食べた記憶がほとんどありません。一般的な家庭とは違う環境で育ちましたけど、野球を続けていくなかでたくさんわがままを聞いてもらって、一生懸命支えてもらっているということは僕も小さいながらも感じていました。
わがままを聞いてもらったというのは、特に経済的な部分ですね。高校を卒業して大学にも行かせてもらって、たくさんスネをかじりました。「野球をやりたい」と強く伝えたら「続けなさい」と言ってくれて、それをわがままというのかわからないですけど、僕はわがままだと思っています。僕は野球をすることが生きがいでしたし、お母さんにとっても僕が一生懸命野球をすることが生きがいだったのかな。
――家族の事情は野球に影響しましたか。
お母さんが不在のことが多かったので、体を動かすことで寂しさを紛らわせていたところはあります。離婚後も環境が変わらないようにと、お父さんは近くに住んでいて、毎週土日は僕の所属する野球チームの練習にコーチとして来ていたので、お父さんに会えるということも野球の練習が楽しかった理由のひとつだと思います。
――お母さんに「もっと野球に興味を持ってほしい」とは思いませんでしたか。
思わなかったですね。ルールは自分で勝手に覚えたし、自分のなかで「楽しい野球」から「勝つ野球」にどんどん変わっていったというのもありましたし。
――練習のときにお父さんと話すことはありましたか?
よく話しました。家のこともよく話してたし、「大丈夫か」「体を大事にしなさい」と声かけてくれていたし、野球以外の部分でもよくコミュニケーションを取っていました。練習中は厳しかったですけどね。ふだんはニコニコ笑っているお父さんでしたけど、グランドでは「お父さん」とは呼べない。「コーチ」という存在で接してくれていました。
――お父さんとは今も連絡は取っていますか。
取っていますよ。試合も僕に秘密でこっそり見に来ているみたいです。