インタビュー
2021年7月26日

器械体操を習ってバク転もできたけれど小学3年生でカヌーに転向、でも川が怖かった。カヌー日本代表・羽根田卓也(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #28 (2/3)

「早く下りてこい」と兄が引っ張ってくれた

――お父さんはどのような思いで練習に連れていったのでしょうか。

父親は「オリンピックに出させたい」という漠然とした夢があったようです。だから、無理やり子どもを川に連れていって練習させたし、自分の休日も返上して教えたし、お金もかけた。今、親父はなんて言うかわからないですけど、その思いが実ったと言えるのではないでしょうか。

でも、こうなったのはたまたまですよね。自分より先に選手としてやっていた兄貴は大学生のときにカヌーを辞めてしまいました。さみしかったけど兄貴が考えて決意したことだから仕方がない。ただ、そういうこともあるので、難しいですよね。

――練習が嫌だったときはどのような感じだったのですか。親子げんかになった?

親子というより、兄貴の存在が大きかったように思います。自分より先に選手としてしっかり練習して、周りの大人に混じって楽しそうにしていたので、その様子に引っ張られました。親父より兄貴に怒られたことのほうが多いかもしれない。練習を嫌がると兄貴に怒られるから、兄貴が怖くて練習に行っていたというのもある。

――どんなことを言われたのでしょうか。

カヌーの中でもスラロームという競技は激流で技を競います。流れはステップ・バイ・ステップで克服していかないとならない。そこで、兄貴が最初のステップを起こして自分を激流に連れて行くんです。「行くぞ」と。自分は激流が怖くてしょうがないから躊躇してしまうんですが、「早く下りてこい」と怒鳴られたことを覚えていますね。中学生くらいまでは怖かった。

――大会には小学生の頃から出場していましたが、オリンピックを意識しだしたのはいつからですか。

高校3年ですね。それまでも国内ではジュニアの大会で成績を残したり、大人に混じって大会に出たりして、中学3年のときに初めて世界大会に出たのですが世界では太刀打ちできない。高校3年のときに初めて世界大会で自分も周りも驚くような成績を出して、「自分は世界で戦っていけるかもしれない」と思いました。

――では、小さいころの将来の夢は?

「カヌーで世界一になる」とは言っていましたけど、それは「総理大臣になりたい」とか「海賊王になりたい」と言っているのと同じで、現実味を持って言っていなかった。ただ、漠然と「カヌーで活躍したい、がんばりたい」という思いはずっと持っていました。

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