インタビュー
2022年9月8日

柔道よりレスリングの方が好きだった⋯⋯たとえ好きじゃなくても希望を持つことはできる! 元柔道日本代表・松本薫(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #32 (3/3)

道場を出るために東京へ、そして石川に戻り意識が変わった

――「柔道で成長したいと思わなかった」という松本さんの心境が変わったのはどういうきっかけがあったのでしょうか。

中学卒業を機に、もうこの厳しい道場を出たい、もう怒られたくない、もっと自由になりたいと思ったんです。でも、道場を出るには、地元の石川県を出るしかない。というのも、道場では、県内にいる限り、週1〜2日は道場に来て後輩たちの面倒を見なければならないというルールがあったんです。それすらも嫌だった。

ちょうどその時、全中で優勝してたので東京の企業から声がかかりました。それで東京の高校に入ったのですが、私がその学校に入った目的は「石川から出るため」。でも、他の子たちはみな「強くなるため」に来ている。みんな向上心の塊で、自発的にものすごく練習するんです。

たとえば「腹筋1分間」と言われたらみんな自分の限界までやる。でも私は20回で休憩。最初から意識の差が大きい。それでコーチや先輩にめちゃくちゃ怒られて、だんだん道場に行かなくなってしまって、友だちとブラブラ遊んでいたんです。それで結局クビになって、地元に帰りました。 このときに、今が柔道をやめるチャンスだと思いました。これでもう本当にスッキリやめられると。

――でも、やめなかった。

地元に帰ってきたら、姉から「薫、つらかったら泣いていいんだよ」と言われたんです。私は好き勝手やって帰ってきただけなので、その意味がわからなかった。姉は私が東京で一生懸命がんばったけど、うまくいかなくて帰ってきたのだと思ったようなんです。そこで私は中途半端な決断で東京に行って、姉にものすごい心配をかけたのだと気づいた。

このまま中途半端じゃいけない、5歳から柔道を始めて12年経って、今、柔道をやめて何が残るのだろう。東京まで行ったのにここでやめたら後悔しか残らない。こんなことなら勇気を出してもっと早くやめていれば、陸上もできたし友達と遊べたし、やりたいこともいっぱいできたはず。

ここまで来て、心配をかけるだけかけてやめるのか⋯⋯と思ったら、「一つでもいいから柔道で何かつかもう、自分の中で納得するまで頑張ろう」という気持ちになったんですね。それから自発的に練習に励むようになりました。全然違う人間になりましたね。

――柔道に対して「好き」とは違う付き合い方をしてきたことで今、役立っていることはありますか。

引退後、お子さんの柔道教室や道場を見に行くことがありますが、実は柔道が好きでやってる子は本当に少ないように思います。私の感覚だと8割くらい「好きではない」という子なんじゃないかな。でも「それでもいいんだよ」と発信することで、その子たちも希望を持つことができたらいいなと思います。好きじゃなくても夢中になれば成長できるし、成長できれば感謝が生まれて、感謝が生まれれば一人前になれると伝えたいですね。

後編:「アイスクリーム屋さんになりたい」、柔道金メダリストを経て子どもの頃作文に書いた夢を叶えた 元柔道日本代表・松本薫(後編)

[プロフィール]
松本薫(まつもと・かおり)
1987年生まれ、石川県出身。帝京大学卒業。2009年より本格的にワールドツアーへ参戦し、柔道女子57キロ級で2012年ロンドン五輪金メダル、2016年リオデジャネイロ五輪銅メダルを獲得。鋭い目つき、攻めの柔道から「野獣」の異名を持つ。2016年、大学時代から8年間交際していた男性と結婚。2019年引退。現在は低糖質、グルテンフリーのアイスクリーム「ダシーズ」の製造開発に携わる。2児の母。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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