インタビュー
2022年9月8日

柔道よりレスリングの方が好きだった⋯⋯たとえ好きじゃなくても希望を持つことはできる! 元柔道日本代表・松本薫(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #32 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第32回は、柔道元日本代表で「野獣」と呼ばれた松本薫さんが登場。2012年のロンドン五輪柔道女子57kg級では金メダル、2016年のリオデジャネイロ五輪では同階級で銅メダルを獲得し活躍した松本さんですが、子どもの頃は柔道を「やめたい」とばかり思っていたそうです。その胸の内を明かしてくれました。

厳しい道場に365日、眠れないほど怖かった

――子どもの頃、どんな習い事をしていましたか。

柔道です。私は5人きょうだいの4番目なんですが、一番上の兄がとても優しい性格で「このままだといじめられるんじゃないか」と両親が心配して柔道を習わせることにしたんです。それで上から順番に柔道を習うことになり、5歳のときに私も習わせようということになりました。

私は「どうしても柔道はいやだ」と泣いていたんですが、母が「お菓子を買ってあげるから、ちょっとやってみん?」と言うので始めました。もともと母は剣道をやっていて、子どもには武道やってほしいと思っていたようです。

――どうして柔道はいやだったのでしょうか。

すっごい厳しい道場だったんです。本当に怖くて怖くて、いやでした。高校生のときに初めて「柔道で何かつかむまでがんばろう」という覚悟を持つまでは、ずっとやめたい精神ですね。中学生の時に全中(全国中学校柔道大会)で1回だけ「勝ちたい」と思って勝ったことはありましたが、そのとき以外は「勝ちたい」と思ったこともありませんでした。

一応、母には聞いたんですよ、「柔道やめていい?」って。2回聞いて、2回とも「やめたければ自分で先生に言いに行きなさい」と言われて。とにかくその先生が本当に厳しくて怖くて、これまでも先輩たちが「受験があるのでやめます」と言ってあいさつに行ったときにめちゃくちゃに怒られているのを見たことがあったので、自分で「やめます」と言う勇気がなくて、仕方なく続けていました。

――柔道は週何回通っていたんですか。

365日、毎日でした。毎日毎日、怒られすぎて「明日も道場か」と思うと夜寝るのが怖くなるほど。小学3、4年のときに、「何か楽しみを見つけないと、このままじゃ自分が壊れる」と気づいて、「明日は学校の体育でバスケをするから楽しみだな」「ドッジボールがあるからがんばろう」と、小さな楽しみを見つけることが得意になりました。体育は得意だったので。

レスリングで全国大会3位に、校内マラソン大会はずっと1位

――体育は得意だったのに、他のスポーツは習わなかったんですね。

柔道を始めた当初から週2回くらいレスリングを習っていましたが、それは柔道を豊かにするために道場が取り入れていたんです。場所も同じ道場。そこにレスリングの先生が来てくれて練習していたんです。レスリングの先生はそんなに厳しくなかったので楽しくて、私は柔道よりもレスリングのほうが好きでしたね。レスリングの全国大会では3位になりました。

――全国3位とはすごいですね! レスリングでオリンピック出場もあり得たかもしれない。レスリングに本気で取り組もうとは思わなかったんですか。

近くにその環境がなかったんです。柔道の道場が基本の場所で、レスリングはあくまで柔道のため。改めてレスリングクラブに行くという考えがその時はありませんでした。

――体育が得意だったとのことですが、他の競技で何かやってみたかったことはありましたか。

陸上ですね。走ることが昔から大好きで、学校のマラソン大会ではずっと1位。中学に上がったら陸上部に入りたいと思っていました。でも中学に入ってからも道場に通っていたので、部活は帰宅部でした。道場は平日は5時から10時まで、夏休みも毎日12時間くらい練習していました。

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