インタビュー
2022年9月22日

「アイスクリーム屋さんになりたい」、柔道金メダリストを経て子どもの頃作文に書いた夢を叶えた 元柔道日本代表・松本薫(後編)|子どもの頃こんな習い事してました #32 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 道場の厳しい指導に、いつも「柔道をやめたい」と思っていたという松本薫さん。「野獣」と呼ばれた柔道家時代を経て、今は2児の子育てとアイスクリーム屋さんとして忙しい日々を過ごしています。子どもの習い事の悩みと、引退後に掴んだ自分の夢。そしてこれから習ってみたいことについて伺いました。

前編:柔道よりレスリングの方が好きだった⋯⋯たとえ好きじゃなくても希望を持つことはできる! 元柔道日本代表・松本薫(前編)

娘が音楽教室に通い始めてすぐに「やめたい」と言い出して⋯⋯

――今は2人のお子さんの子育てに励んでいらっしゃいますね。お子さんは何か習い事をしていますか。

5歳の娘は公文とヤマハ音楽教室と、今度ダンスを習い始めます。2歳の息子は公文。息子は娘の真似をしてピアノを弾きたがって、娘よりもピアノの前に座る回数がずっと多いんです。3歳になったら音楽教室を考えてみようと思っています。

――柔道を習わせる予定はありますか。

家でたまに「柔道ごっこ」をしてるんですよ。優しく転がすくらいなんですけど。それで、娘に「柔道、習いたい?」と聞いたら、「やだ」って。私の試合の録画を見て「かっこいい」と言ってくれるんですけど、ちょっと怖いみたいです。いやなら仕方がないかな。

――もし、ご自身のお子さんが習い事を「やめたい」と言ったときは、親としてどう判断しますか。子どもだと叱られて嫌だったとか飽きたからとか、気まぐれでやめたいといったこともあるかと思います。

実は娘も音楽教室に通い始めてすぐに「やめたい」と言ったことがありました。「何でやめたいの?」と聞いたら「疲れた」と。娘は人前に立つのが苦手で緊張しちゃうんですよね。だから疲れが出たんだなと思って、「疲れたか、わかった。休んでまた行こう」と言って、そのときはそれでおしまいでした。

先生と合わないなどの理由で、本当に耐えられなくてやめたい場合は、やめさせるか教室を代わるなどさせると思います。これから成長していくにつれて、そういうケースが出てくるんだろうなと思います。

こっそり応援している母の一言が頭に残り、攻めの柔道に

――松本さんご自身は柔道を「やめたい」とお母さんに言ったところ、「やめたいなら自分で先生に言いなさい」と言われたそうですが、お母さんはどういう意図だったのでしょうか。本当はやめてほしくなかったからそう言ったのか、自分の好きにしていいという意味だったのか。

大人になって聞いたときは、当時は店をやっていて忙しかったし、5人きょうだいなのでやめても面倒がみられない。だから道場に行ってくれたほうが助かるという思いがあったようです。どうしてもやめたくて自分で言うなら、仕方がないとは思ってたみたいですけど。

あとは責任ですね。始めるときに「お菓子を買ってあげるから柔道を始めてみん?」と言われて納得して始めたのだから、自分の行動に対しての責任は自分で取りなさいという方針。だから、「自分で言いに行きなさい」ということだったのだと思います。

――「このまま続けていれば、将来大活躍するはず」と見抜いていたのでは。

いや、それはわからないです。試合は基本的に見に来ないですし、結果に関しても特に何も言わなかったので。試合に来たのは小学生のときで1、2回。大人になってからも世界選手権、オリンピックだけ私が呼んで来てもらいましたが、それくらいです。常にこっそり応援してる感じ。

――松本さんとしては「もっと試合に来てほしかった」という思いはありましたか。

ないですね。ただ、母が言う言葉は的確だなというのが強く印象に残っています。小学生のときにたまたま見に来た試合で、私は3回戦で負けたんです。その成績は私にとってベストなんですよ。というのも、決勝まで行ってしまうと怖い先生に試合中ずっと見られてしまう。もし失敗すれば後でものすごく叱られてしまいます。

2回戦、3回戦あたりは、まだチラホラ同じ道場の子が他の畳で同時に試合をしているんですね。先生の目が1点に集中しない。だから「そのあたりで負けよう」という戦いをしたんです。その試合を見た母からは「虫みたいな柔道だね」と言われました。畳の周りをはいずり回って逃げ回っている姿が「虫みたい」という表現になったようです。その言葉を大人になってからもずっと覚えていて、「逃げ回る柔道じゃだめだ」と考え、攻撃的な柔道に変わったというのもあります。父によれば、母は私の一番の応援者だそうです。

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