負けて「悔しい」という気持ちを味わった習い事はバドミントンだけでした。元バドミントン日本代表・髙橋礼華(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #33 (2/2)
外遊びが好きで、放課後は友だちと公園でワイワイ
――小学校の時は、学校から帰ってきたらずっとバドミントンという生活だったのでしょうか。
バドミントンの練習は毎日午後6時から午後9時までだったので、学校から帰ってきてから練習の時間までは友だちと遊んでいました。ブランコに乗ったり、ジャングルジムで鬼ごっこをするのが流行っていたので、5~6人でやったり、ドッジボールや大縄をしたり。外で体を動かす遊びが好きだったんですが、おままごともしましたし、お菓子を買いに行って食べることもありました。結構友だちとワイワイしてましたね。
私は遊びも全力、バドミントンも全力タイプ。大人になってからもオフはオフでしっかり休んで遊んで、また練習が始まったら頑張る。子どもの頃からオンとオフの切り替えはしっかりできたのだと思います。
――現役時代も、オフは大好きな三代目 J SOUL BROTHERSのライブに行くことで知られていました。2016年のリオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した後の会見でも「(日本に)帰ったら大好きな三代目 J SOUL BROTHERSのライブに行くつもり」とコメントしています。
そうなんです。海外にいることが多いので、帰国して休みが取れたらライブに行ったり、予定を詰めまくって友だちと遊んだり。でもやっぱり次の日に朝早くから練習があるので、夜遅くまで外に出ることはなかったですね。次の日に疲れを残さないように、うまく遊んでいました。
寮生活、「泣いて帰ってくる場所はない」と言われて……
――お母さんと同じ競技をしていたことについてはいかがでしたか。どのような感じでお母さんは接してくださったのでしょうか。
すごく嫌でしたね。お母さんはジュニアのコーチをしていたので、遠征でもずっと一緒。試合のときベンチにお母さんが入るのは絶対に嫌だったので、違うコーチに入ってもらっていたんですけど。お母さんは他の選手も見ていたので、私だけ特別扱いすることはなく、勝ってもそこまで褒められたこともないし、家に帰っても練習や試合のことでいろいろ言われて、楽しくご飯を食べたいのに反省会みたいになってしまって。練習場所ではコーチ、家ではお母さんでいてほしかったけれど家でも怒られて。あんまりいい思い出はないですね。
――引退後、当時のことをお母さんと話すことはありますか。
今はもう娘の話ばっかりなんで、全然ないです(笑)。
――小学校の卒業文集では将来の夢として「バドミントンでオリンピックに出たい」と書いたそうですね。その時点で「一生バドミントンをしていく」という決意が固まっていた?
いや、そこまではないです。小学生なので、「オリンピックが一番すごい大会なんだろうな、バドミントンを続けていたら出てみたいな」というくらいで、そこまで深く考えずに書いたのだと思います。
――とはいっても、中学は宮城県の強豪校に進学していますよね。親元を離れる決意は大きなものだったと思いますが、自分で決めたのでしょうか。
ええ、奈良県に残ろうと選択肢はありませんでした。そこは悩まなかったですね。ただ、どの学校が自分にとって一番いいのかという点ではいろいろ考えましたが。
4校ぐらい強豪校から声をかけていただいて、1つは大阪で近い。ダブルスのペアや他の強い子たちと「この学校に一緒に行こう」と言っていたんですが、結局その子たちは行かないことになったので選択肢からはずれました。宮城県の聖ウルスラ学院の練習を見学に行ったら、当時高校2年生に平山優さん(現日本ユニシス監督)がいて、社会人にも勝つくらい強くて、「私が入学したら平山さんは高校3年生。1年間は練習を間近で見られる、一緒の空間で練習できる」と思い決めました。
――その決断にご両親はどういう反応でしたか。
お父さんに「泣いて帰ってくる場所はないよ」と言われて、「はい」と。見放されたわけではないんですけど、お父さんとお母さんがそこで「こっちに残った方がいいんじゃない」と言ってしまうと、私が本気で考えたことを遮ってしまうことになるから、あえて厳しく言ったのだと思います。
今考えるとお母さん、お父さんもきっと寂しかっただろうし、不安な気持ちはあったと思うんですけど、私自身は寮生活の不安や親元を離れるつらさよりも、この学校に行ったらバドミントンが強くなれる、強くなりたいという気持ちでパッと決めてしまいました。
――親御さんにしたら我が子を中学生で寮生活に送り出すのは勇気がいりますね。
今は、バドミントン界では中学から親元を離れて強豪校に進学することが当たり前の世界になっていますが、当時は周りからもびっくりされました。自分自身よく判断したなと思いますし、親もよく許してくれたなと思います。
後編:中学で寮生活をスタート、「私、何しに来たんだろう」と思う日々を乗り越えた 元バドミントン日本代表・髙橋礼華(後編)
[プロフィール]
髙橋礼華(たかはし・あやか)
1990年、奈良県生まれ。6歳からバドミントンを始め、中学は聖ウルスラ学院英智中学校(宮城県)に進学。高校時代に1学年後輩の松友美佐紀選手とダブルスのペアを組み、「タカマツペア」として引退まで活躍。2009年に日本ユニシスに入社。2016年のリオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得。2020年引退し、同年バドミントン選手である金子祐樹選手と結婚。2022年、第1子出産。
<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>