インタビュー
2017年12月1日

やっぱ、僕はプロレスが好き。追い込まれるほど“火事場のクソ力”が出る。新日本プロレス中西学『キン肉マン』【私のバイブル #2(前編)】 (2/3)

やっぱりジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんですけど、アマチュアレスリングを始めてからは、マサ斎藤さんがすごいと思うようになりました。あとはアンドレ・ザ・ジャイアントのデカさはやっぱりすごいなとか(笑)。

― そして、高校のときにいよいよ本格的にレスリングを始められます。

ただ、プロレスラーになりたいからレスリングを選んだというとか。まずはアマチュアのレスリングがあって、それがプロになってプロレスだと思っていたら、実際にはぜんぜん違う競技でしたよ(笑)。

― その頃もまだ『キン肉マン』は読んでましたか?

高校の先生がすごいストイックで、「生活すべてをレスリングに傾けないとダメだ!」と言う人で。同級生は適当にやっていても、僕は器用な方じゃないから、先生の言う通りにレスリング一色になってしまった。レスリングの練習で疲れて帰ってきて、マンガ自体をそんなに読まなくなってしまっていたけど、テレビでアニメをやっていたので、それは観てました。

公務員からオリンピック出場!?

― その後、専修大学に進学し、卒業したら和歌山県庁に就職されます。このときは、プロレスの夢を捨てたのですか?

いや、夢を捨てたのではなくて、せっかくアマチュアレスリングをやってたから、オリンピックに出たいと思ったんですよ。そうしたら、地方の公務員やりながら、母校の専修大学に練習に行かせてくれるというので。

自分ではプロレスラーになりたかったけど、実際、迷っていたのはありましたね。中学出たらすぐ、親父の手伝いで農業を継ぐと思ってて、勉強なんかしたことなかったんですけど、レスリングやってたら、なんとか高校にいけて。そうしたら大学に来ないかと言われて、あれよあれよと公務員になって(笑)。

レスリングをやっていても、みんながみんなプロレスラーになりたいわけじゃないし、当時、軽量級はプロレスラーになれなかった。今は総合格闘技にいく選手もいますけど。だからいきなりプロレスラーになるよりも、一度社会人になったほうがいいのかな。とりあえずオリンピックに出たら、何か答えが出るだろうと思ったんですね。

― そして、1992年のバルセロナオリンピックで、フリースタイル100kg級に出場されました。

オリンピックには出たけれど、2回戦敗退で、結果的なものはまったく残せなかった。だから次のステップとして、プロレスラーになってがんばろうと思いました。

アマチュア時代、知り合いに紹介してもらって、新日本プロレスの「闘魂倶楽部」(注1)に入りました。だけど日本ではどうしても重量級が少ない。当時、新日本のバックアップを受けて)、海外に行かせてもらって練習してました。オリンピックに行けたのも、そういうのがあったからで、その恩返しじゃないんですけど、プロになってやっていきたいと決めたんです。

プロレスデビュー『キン肉マン』の影響は?

― そして1992年10月、いよいよデビュー戦を迎えます。夢だったプロレスラーになれた喜びはありましたか?

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