インタビュー
2021年8月31日

座り方ひとつでガラリと変わる。車いす陸上のホープとマシン・エンジニアが上る最速への階段(前編)│わたしと相棒~パラアスリートのTOKYO2020~ (2/3)

鈴木:毎年12月に『日産カップ(日産カップ追浜チャンピオンシップ)』(※2)という大会があって。日産自動車のテストコースを走るんですが、小学校4年生の時にその大会のジュニアの部で勝った時に、副賞でオーエックスのレーサーを作ってもらえることになったんです。今、23歳だから、13年くらい前ですね。初めてレーサーで走った時の感覚は、乗用車からスポーツカーに乗り換えた感じ。流れる景色が違いましたね。

小澤:そう考えると長いよね、競技歴。

――小澤さんと鈴木さんの出会いはいつ頃になるのでしょうか。

小澤:花岡伸和さん(※3)という鈴木選手の師匠にあたる方が、当時弊社に在籍していて、陸上競技の活動をしながら広報の仕事をしていたんです。その活動の中で鈴木選手と出会って、花岡さんがいろいろと彼を指導していたんですね。その時から、ちょっとした車いすの調整を私がやり始めました。それが出会いのきっかけで、最初から私がオーダーメイドのレーサーを作っていた訳ではないんです。

――小澤さんが作ったレーサーに、鈴木さんが乗り始めたのはい頃ですか?

鈴木:2015年頃ですね。それまでは、有名選手のお下がりを使わせてもらっていました。土田和歌子選手(※4)や、洞ノ上浩太選手(※5)、あとは花岡さんのもよく使っていましたね。数えると今までに10台位は乗ってきたと思います。2015年にカタールのドーハで開催された世界パラ陸上選手権がシニアのデビュー戦だったのですが、その時には、オーエックスさんとサポート契約を結ばせていただいていました。今のカーボン製のレーサーに初めて乗ったのは自分ですよね?

小澤:多分、そうだね。

――といいますと。

小澤:今、主流で製作しているタイプのレーサーですね。特徴としては、車いすの『フレーム』と言われている部分がカーボンファイバー製。選手が座るシート部分は身体に合わせやすいようにアルミ製にしています。

強さを求めて変えた「座り方」

――鈴木さんとしては、レーサーについてどういった要望を小澤さんに伝えているのでしょうか。

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