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2018年7月17日

エベレスト登頂はそこまでハードルが高くない。“冒険家弁護士”福永活也が語る登山(前編) (2/3)

きっかけはフリーター時代に登頂したキリマンジャロでの経験

――24歳でアフリカ大陸最高峰キリマンジャロの登頂に成功して、今回のエベレストまで、すでに6大陸最高峰を制覇しました。キリマンジャロの思い出から聞かせていただけますか?

大学卒業後に企業で働くもすぐに辞めて、フリーターをしていました。その時期に、アフリカを旅していて、他の旅人からキリマンジャロは素人でも登れるらしいというのを聞いて、軽い気持ちで登りにいったんです。当時は今よりももっと体力もありましたし、登山に関する知識や技術がなくてもフィジカル任せで登れるんじゃないかと思いました。そして、一般的にはキリマンジャロの登山には合計で5日とか7日とかかけるんですけど、僕は4日で終わらせました。入山料やガイド料、レンタル料、ポーター料が日数計算だったので、できるだけ安く済ませたいというのがありました。なぜなら、旅人同士で話をする時に、キリマンジャロ登山に要した費用が安ければ安いほど、過酷な登山に成功したんだなという話題になるからです。それで、キッチンスタッフも雇わず、毎日コーンフレークをそのまま食べたり、ほかの登山客の残飯をもらったりして、4日で420USドルで登頂しました。今思えば、登山はレースではないので、他人との比較なんて意味はないのですが(笑)。

アタックの日は、前日に夜8時から眠りだしたのに、深夜の12時には起きて出発し、ほぼ休憩なしで歩き続けて登頂して、その日のうちに下山して、山の入り口まで戻ったのが夕方の6時半でした。16.5時間も歩き続けたことになります。足の裏の皮が全て剥けてしまうような状態でしたが、24歳の僕には、その辛さが達成感とか充実感に思えて、すごくいい経験をしたという思い出になっています。

――そこから、次のオーストラリア大陸最高峰コジオスコ登山まで10年間のブランクがありますね。

フリーター生活を辞めて弁護士になって、独立。それから自分なりにある程度、弁護士業をがんばったと思えるようになってきたのが、再び山登りをするようになったタイミングと重なりました。「これからどんな人生を歩もうか」と考えて過去を振り返ってみた時、「キリマンジャロ登山は楽しかったな」と思い出して、ちょっと調べてみると、登山家にとっては7大陸最高峰を登るのが1つの目標としてあるっていうのを知って。すでにアフリカ最高峰は制覇していたので、もうひとつ登れば2大陸制覇達成で、無理やり自称・登山家っぽく言えるやんと(笑)。それで、手っ取り早いところで2000m級のコジオスコ(オーストラリア大陸最高峰、2228m)に登ることにしたんです。ここはハイキング気分で行けるくらいの楽勝な山だったので(笑)。

――同じ年に南極大陸最高峰ヴィンソンにも挑戦。

コジオスコを登った年の冬に長年行ってみたいと思っていた南極に行く機会ができたので、行くついでにヴィンソン(4892m)にも登っとくかと。ヴィンソンもそんなに難しい山ではないんです。計6日で登るのが一般的ですが、登頂率は90%以上あると思います。ヴィンソンは南極に行って帰ってくるまでに莫大なお金と時間がかかるので、登山に挑戦するまでのハードルは高いのですが。単にヴィンソンに登るだけのツアーでも、500万円くらいはするはずですし、天候が悪くてフライトが何日も飛ばずに待たされることも多いです。でも、登山自体は楽勝ですよ、本当に。僕も順調に登頂することができました。

――そしてそのまま南米大陸最高峰のアコンカグアに向かいましたね。

南極を出た後、ボリビアのウユニ塩湖に行く予定をしていました。10年近く前に、一度行っているのですが、その時は乾季だったので有名な空が反射する湖を観ることができなかったので、もう一度行こうと。ただ現地の旅行会社などに聞いてみても、例年よりも水が少なくて、チリに戻った年初の時点では湖がほとんどないと。それで他の何に時間を使おうかと考えて、すぐにそのまま挑戦するなら、帰りのフライトまでにアコンカグアに登る時間がギリあるなと。

6000m弱のキリマンジャロに登った時でさえ高山病で多少苦しんだので、7000m弱の山はちょっと心配だったのですが、もう行ってしまえと。南極からチリに戻ったその日にアコンカグア麓の町メンドーサに移動し、翌日には登山会社と契約し、さらにその次の日の早朝に登山を開始しました。結果的には、アコンカグアも、そこまで大変ではありませんでした。最初から最後までずっと順調で、一般的には22日くらいを要するところを16日で無事に登頂して下山できました。

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