インタビュー
2019年8月17日

大東駿介が語る、ゼロからイチを築いた五輪アスリートを演じる決意。「敗北の先に進むことって、すごいロマンだなと思うんです」│『いだてん』インタビュー (1/5)

 日本人初のオリンピアンとなった金栗四三と、1964年の東京オリンピック招致に尽力した田畑政治を描いた、宮藤官九郎さん脚本によるNHKの大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』。

 彗星のごとく水泳界に現れ、1928年アムステルダム・オリンピックに出場するや200メートル平泳ぎで日本水泳界初の金メダルを獲得した男子選手がいました。鶴田義行です。その後、田畑政治(演:阿部サダヲ)からは年齢による衰えを指摘されますが、本人は1932年ロサンゼルス・オリンピックにも出場する気満々。果たして、その行方は?

 何事にも動じない度胸の持ち主で、日本選手団の兄貴分としてチームを支えた鶴田ですが、その裏にはどのような葛藤があったのでしょうか。都内では、本作で鶴田を演じた大東駿介さんを囲んだ合同インタビューが実施され、実は水が怖くて泳げなかったこと、どうやって身体を鍛えたのか、そのモチベーションはどこから来ていたか、阿部さんの演技を見て思ったこと、鹿児島弁にまつわる秘話などを語りました。

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[プロフィール]
●大東駿介(だいとう・しゅんすけ)
1986年3月13日生まれ、大阪府堺市出身。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)でデビュー。以来TVドラマ、映画、舞台等数多くの作品に出演。近年の出演作にはテレビドラマ『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』(NHK)、特集ドラマ『マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束~』(NHK)。映画『108~海馬五郎の復讐と冒険~』(2019年秋公開)、ベルリン映画祭で観客賞と国際アートシアター連盟賞の2部門を受賞した『37Seconds』(2020年公開)の各作品の公開を控える。大河ドラマ(NHK)は、『平清盛』(2012年)、『花燃ゆ』(2015年)に続き、『いだてん』が3度目。

●鶴田義行(つるた・よしゆき)
佐世保海兵団に在籍時、専門的な指導も受けずに全国大会で優勝し、彗星のごとく水泳界に現れる。1928年アムステルダム・オリンピックでは200メートル平泳ぎで、日本水泳界初の金メダルを獲得。1932年ロサンゼルスではオリンピック連覇に挑んだ。何事にも動じない度胸の持ち主で、日本選手団の兄貴分としてチームを支える。

【あらすじ】第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」(8月18日放送)
1932年、田畑(阿部サダヲ)率いる日本競泳陣はロスオリンピックで大旋風を巻き起こす。200m平泳ぎの前畑秀子(上白石萌歌)も空前のメダルラッシュに続こうとするが決勝レースは大混戦に。IOC会長ラトゥールは日本水泳の大躍進の秘密に強く興味を持つ。治五郎(役所広司)はその答えを見せようと日本泳法のエキシビジョンを思いつく。中学生のときに病気で競技をやめた田畑も、それ以来の水泳に挑戦することになる。

まったく前に進まない姿に、ディレクター陣が顔を見合わせた(笑)

―― 役作りする上で意識したことはありますか。

当時の写真が残っている大河ドラマに挑んだのは今回が初めてでした。そこで、本当に鶴田選手を意識して身体づくりをしてみようかな、と思ったんです。自分の身体を写真のイメージに近付けるということですね。これは役作りということよりも、自分が作品に携わるモチベーションの部分が大きかった。役作りという言葉、実はあまり好きじゃないんです。だから役のためじゃなくて、自分の心持ちのためですね。やれるところまでやってみようと。身体を近付けたことで、かなり自分の気持ちを後押ししてくれた。

テーマが水泳ですし、僕以外のキャストはみんな泳げたんですよ。でも実は、僕はカナヅチで泳げなかった。「大丈夫だよ、時間はあるから」とは言われましたが、最初の水泳練習のときに、まったく前に進まない平泳ぎを見て、ディレクター陣が顔を見合わせるという(笑)。

じゃあ、なんでオファーを受けてん、ということを言われるかもしれないんですが、正直、そんな厳しいことを言われたら……。泳げる人にオリンピック選手を演じてもらったら良いんじゃないかと言われたら、何とも言えないんですけど、「自分はできる」と思ったし、鶴田選手って水泳を始めて3年でオリンピックまで行った人なんです。もともと海軍にいて、身体はもって生まれた素質としてあるのかも分からないけれど、だから自分が大河ドラマに挑む上で、できるんじゃないかと。自分の可能性、やってやろうという気持ち、これが誰にも負けなかったら、オリンピック選手として大河ドラマの舞台に立っていいんじゃないかと思っちゃったりして。

NHKでも水泳の練習環境を用意してもらっていたんですが、個人的にも先生にお願いして、その3倍は泳いでいましたね。これも鶴田選手を演じる上で後押しになりましたし、個人的にこの役を演じることで、この先、できないことはなくなるんじゃないかと思いました。物理的にできないことはあるけど、苦手意識の部分では。脳の処理で言うと、脳ができないと思っていることって、意外と身体が解決してくれることがある。それは、これまでの経験から実感としてありました。

自分ができないと言おうが、何をしようが撮影の日はやってくる(笑)。だから、その限られた時間の中で、自分がどれだけのことをできるか。アスリートの人は尊敬するし自分がそうなれるとは思っていないけれど、役を演じる上で自分に何か負荷をかけなきゃいけなかった。体重も10kg以上増やしたし、そういう負荷っていうのが「頑張ればできるじゃない」という自信につながる。

制作発表のとき、自分でも何を言っているんだろうと思ったんですが、全国の子どもたちに向けて「おじさんでも泳げた。頑張ってプールに行こう」なんて言ってしまいました。でも本当にそう思ったんですよね。特に僕は学生時代、「水泳もできない」「球技もできない」と周りに言っていた。でも、いまの自分なら「1か月ください」と思う。1か月あれば、スタートラインを切ってみせます、という自信がある。人生の好奇心の幅が、かなり広がった。そんな演劇体験をさせてもらっている印象です。

―― 泳げないのに、金メダリストの役が来たときの率直な気持ちは。

ちょっと前の自分やったら、いろんなことを踏まえて、もちろん大河ドラマに出させてもらえるのは光栄なことやけど、責任があるぶん、「鶴田さんを演じられる人がやったほうが良いんじゃないか」「水泳ができる人がやった方が良いんじゃないか」と思ったかもしれないんです。

いまでもお世話になっていますが、初めての大河ドラマで中井貴一さんとご一緒させてもらったとき、「大河ドラマは人生のターニングポイントに訪れる」と言われたんですよ。貴一さんも25歳のときに初めての大河ドラマに出られていた。そのとき僕は25歳で、貴一さんは50歳だった。「いま初めての大河に出演する25歳のお前のおやじを演じるのは非常に感慨深い」という話をしていただいて。

やっぱり、この『いだてん』も自分の役者人生のターニングポイントになると感じています。そこで意識的に、1本旗を立てるじゃないですけれど、そんな気持ちで臨みたいと思ったんですよね。「できないからやらない」とは言いたくなかった。特にオリンピックという、挑戦を題材にした作品なわけですから。

このあいだ、正直、自分も人見絹枝さん(演:菅原小春)の活躍する回で大号泣してしまった(笑)。いまって失敗とかに、とても厳しい時代です。でも時代って、失敗が築いてきたんじゃないかなという思いもあって。そう思ったからには、自分が失敗を恐れる選択をしたくないな、というのがあった。

仮に泳げなかったら、仮に増量に失敗してお腹でも壊してガリガリで現場に現れたら……、そんな不安もありましたが(笑)、アスリートにかかるプレッシャーはそんなもんじゃない。人見絹枝さんも言ってましたけど、ただでは日本に帰れない。そのプレッシャーたるや計り知れないと思うんです。今回も『いだてん』というテーマやからこそ、そういうものも受け入れて前に進みたい、という気持ちでした。

脳より身体の方が信頼できる

―― 水泳のコーチを追加してまで泳いだそうですね。どのくらい練習したのでしょうか。

30年以上も生きてくると、自分の性質って分かってくるんですよ。実際の練習中よりも、練習が終わった後に、身に付くことが多いと感じていて。そこで先生をつけた個人練習、そのあとみんなと練習、その後で1人でプールに行って復習する、ということを繰り返しました。真面目な奴と思われるかもしれないんですが、全然そんなことなくて、目が血走っていましたね。「やってやろう!」みたいな。

なんか最初、ホンマに恥ずかしかったんですよ。「こいつ、いつまで前に進めへんのや」って言われてんの分かってんねんけど(笑)。どっかで「見とけよ」とほくそ笑んでいる自分もいて。「絶対、変わるから」と。何の根拠もないんすけど。でも2か月後くらいから(笑)、やっと本当に進むようになって、みんなと競争できるまでになってきて。

身体って信頼できるなと思いましたね。脳より意外と身体の方が信頼できる。けっこう、泳ぎましたよ。はじめは水が怖かったですからね。プールに入っただけで溺れた気分になっていた。ゴーグルもない時代だったんで、はじめは水の中で目を開けるのも恐怖だったんです。飛び込み練習は、水が怖くなくなった後だったので、すんなり進んでいって。飛び込みなんか、水泳をする前、「あんなもん人のするもんじゃない」と思っていた(笑)。

始まってからは、おもしろかったですね。僕がよく言ってた例えなんですが、飛び込み練習では最初の頃、水にビンタされる思いだった。下手くそやったから。それが途中から、とても上質な羽毛布団に入るかのような気持ちに変わりました。シュって潜り込むように。

(撮影が終わったが)いまだに泳いでます。あんなに、水泳はできないと思っていたのに。それまでの自分には選択肢の中に「休日に水泳する」なんて項目はなかった。いまは水泳が息抜きになっているし、人生観が変わりました。人は本当に些細なことで変われるんですよね。撮影期間は1年もなかったですし、でもそんな短期間でも人生って前に進むんやな、と思いましたね。

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