インタビュー
2022年1月27日

“ブレないモデル”新井貴子はなぜ世界のファッション界で活躍できるのか (2/2)

―モデルとして活動する前はミス日本コンテスト2012でグランプリを受賞。応募したきっかけを教えてください。

大学2年生のときに母が亡くなったこともあり、部活を辞めたんです。そんな時期に前年大会に出場した姉から「将来に繋がる何かをしてみたら? ミス日本はどう?」と言われたんです。もともとは、表に出ることに興味がなかったんですが、やってみよう!と。姉は前大会で「ミス着物」を受賞していましたがグランプリ獲得は逃しました。「もしやるなら私はグランプリを取りに行きたい」と決意しました。

―ミス日本グランプリとしての活動を終えた後、シンガポールでモデル活動を開始。シンガポールで1年間キャリアを積んだあと、念願だったパリコレ出演を果たしました。

初めてのパリコレのランウェイは、足が震えていたことを鮮明に覚えています。そのときのショーでは、小さな女の子と手を繋いで歩くという難しいウォーキングをしないといけませんでした。しかも20センチもあるピンヒールを履いて、ドレスを着て歩かないといけない。“プレッシャー2倍”という感じ(笑)。歩いたときの風景の記憶はまったくなくって。後で写真を観て「会場はこういう風になっていたのだ」と思ったくらいでした。

スポーツ経験がくじけそうな自分を救ってくれる

―モデルになった当初、パリコレ出演を目標にし、その夢は叶いました。現在はヘルスケアブランド「エクリア」のミューズに就任するなど、モデルとして目覚ましい活躍をされていますが、今後の目標は何ですか?

次の目標は、日本人モデルが立ったことのない「ヴィクトリアズ・シークレット」のショーのランウェイを歩くことです。

―「ヴィクトリアズ・シークレット」の何が特別なんでしょうか?

「ヴィクトリアズ・シークレット」のショーに出ているモデルたちは体もしなやかで、それぞれがブレない自分を持っているようにみえるんです。私もその一員になれたらな、と憧れます。

▲右から「バルマン」2018年春夏パリ・コレクション、「プラダ」2018春夏ミラノ・コレクション

―その夢は叶いそうですか?

実はオーディションに呼んでもらうこと自体、ハードルが高いんです。過去に「ヴィクトリアズ・シークレット」のキャスティングディレクターと仕事をしたこともあるんですが、いい印象を与えられたんじゃないかな、と。

―タフでないと生き延びられない世界ですね。その原動力はどこで培われたんでしょうか?

スポーツ経験が大きいと思います。中高で所属していたバレーボール部がすごく厳しいところで、そこで精神的に鍛えられました。くじけそうになっても、「あのとき、耐えられたんだから、ぜんぜん大丈夫!」と気持ちを立て直すことができるんです。モデルの世界は変動が激しいところ。その流れに自分を任せてしまうと気持ちがあっちこっちにいってしまい、トップに進むことができません。ブレない自分になるために、スポーツ経験が反映されているんだと思います。

[プロフィール]
新井貴子(あらい・きこ)
1990年12月8日生まれ、大阪府出身。父は元プロ野球選手の新井宏昌。2012年ミス日本コンテストグランプリを受賞し、2014年7月からパリコレなどに世界を舞台に活躍している。2018年6月からヘルスケアブランドの「エクリア」(http://www.elecom.co.jp/eclear/)のミューズに就任。

<Text & Photo:竹内みちまろ(H14)>

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