気持ちは谷底に置く。親は子どものチャンスが見えても冷静に┃内村周子の子育て論(前編) (2/3)
子どもが伸びていくっていうのは、変なストレスを与えないことが第一条件だと思うんです。たとえば、子どもがイヤだなと思うことを言ったり、怒ったり、なんでもダメと言ったり、過ぎたことを咎めたりすること。そんなことを言うと子どもは後悔しますよね。「あの時あれをしなきゃ良かったな。ママが怒るってことはぼくが悪かったんだ」と。そのあと親の目をずっと気にしながら暮らしていく。それで親の目の届かないときに発散してしまう。これじゃ悪循環ですよね。子どもはお母さんに褒められたいんです。それをお母さんがどう捉えていくかですよ。航平は叱るとしょげてしまう性格の子でしたから、体操が好きで前向きになっている彼を、ストレス溜めて諦めさせたくない。子どもに注意したいときでも私が我慢しました。
——体操教室ではほかの生徒さんと同じように航平選手も指導していたと思いますが、わが子の中に可能性を見た瞬間に指導法が変わったりしませんでしたか?
わが子っていうのは、ほかの指導者の言うことは聞くけど親の言うことは聞かないものなんです(笑)。それはわかっていたので、あまり余計なことを言わず、ずっと気楽に器具を使って遊ばせていました。逆に言えばそれでのびのびできたのかなと。
でも、航平がここまで大きくなれたのは、コーチやチームメイトの親御さんたちをはじめ、サポートしてくれた周りのみなさんのおかげ。航平ひとりの力じゃない。みなさんに支えられて金メダルが獲れたんだと思います。私は今も昔も、旗を作って応援席で声援を送るだけですから(笑)。
チャンスが見えても親は冷静に。『気持ちは谷底に置く』
——航平選手が、もしかしたら世界へ行けるかもしれないと感じたのはいつ頃でしたか?
いちばん早く気づいたのは主人のお友達で、航平が高校2年生の頃。「この子はいいものを持っているから、絶対に世界に行くぞ」と。次第に周囲の人に注目されはじめたのは高校3年の頃ですね。私はそれを聞いても「まさか〜?」って思ってました。でも、徐々に体が変わってきたのと、感覚と力と思考、それが一致した演技ができるようになってきたので、もしかしたらと。
航平は環境の変化に弱い子で、高1で上京して環境が変わったことで疲れやストレスで調子が落ちましたが、それから這い上がったのは北京五輪でした。あの子のいいところはあまり大きな怪我をしないこと。実は私に似て小心者なんです(笑)。一度やって怖かったら、その技は取り入れない。自分の得意なものに挑戦して、それを伸ばしていくタイプですね。
——北京五輪への出場が決まった時は、さすがにメダルを期待なさったのでは?