インタビュー
2022年12月15日

どんな習い事も、野球に役立てようと思えば役立つ。絵を描くことも野球に活きた 元プロ野球選手・五十嵐亮太(前編)|子どもの頃こんな習い事してました #34 (2/2)

それに、絵を描くときは発想力やイメージする力が必要なんですが、それも野球に活きたと思う。野球選手はどういう選手になりたいか、どういうボールを投げたいか、どういう打ち方をしたいか、発想やイメージがめちゃくちゃ大事。自分でイメージできるかどうか、そしてそれが正しいか間違ってるかを判断するセンスも、いろいろな習い事で培われるものだと思います。

いろいろなスポーツを経験することで刺激になる

――2010年から2012年までアメリカにいらっしゃいました。アメリカでは、子どもに季節ごとにさまざまなスポーツをさせるそうですね。一方、日本は地域のチームにしろ部活にしろ、何年も同じスポーツを続けることがよしとされています。そのことについてどう思いますか。

いろんなスポーツをして、体にいろんな刺激を与えることはいいと思います。基本的に野球は右回りだし、右投げだったら右投げの癖がついちゃう。他のスポーツをすればそれがリセットさせられます。内野手だったらサッカーみたいな動きも大事。

そこで何かいいものに気づいて、自分がやりたいことに活かすことができる。それも発想力。他のスポーツから繋がりを発想できるかどうか。それに、今はいろんなスポーツでお金を稼げる時代になってきてるんで、いろんなことをやって、自分に合うものが見つかればそれは最高ですよね。人よりちょっと秀でてるなと感じられるものに出会えたら楽しいし、褒められて注目される。それでいいんじゃないかなと思います。

――日本のスポーツにおける、いわゆる「根性論」は今では批判が多いのですが、思うところはありますか。

これだけニュースなどでも指摘されているので、もう「根性、根性」と言っている指導者はあんまりいない気もしますけど。ただ、僕は根性論が全てダメだとは思いません。根性が活きてくる場面もある。でも、ひたすら同じ練習をやらせてクタクタにさせて、「根性、根性」と言い続けても伝わらない。「根性も大切だ」と感じてもらえるように促せる指導者がいい指導者なんじゃないか。もともと根性がある子もいるので、その子にどういった指導が合っているか見極める必要がありますよね。

野球をやめても母は「別にいいんじゃない」と⋯⋯

――小さい頃の夢はプロ野球選手でしたか?

そうでしたね。その夢が具体的になったのは高校2年生のとき。相手チームの選手をプロのスカウトが見に来たんです。その時に僕がちょっといいピッチングをしたので、それからちょいちょいスカウトが来るようになって、「これは上手くいけばいけるな」と思いました。

それまでは「プロになりたい」とは言うものの、実際どうなるかはわからないじゃないですか。だから高校は野球で進学したけれど、建築科に入ったんです。ものを作ったり描いたりすることが好きだったんで、そういった仕事を見つけるのも自分に合ってるんじゃないかと思って、製図を描きながら野球部でボールを投げる生活をしていました。

――プロの夢が現実になりつつあると知ったとき、ご両親はどのような反応で、どのように応援してくれましたか。

実は、高校1年生のときに、すでに高校の監督は母には「うまくいけばプロにいけるかもしれない」と言っていたようなんです。そう言われると親って力を入れるかなと思いきや、意外とそういうわけでもなかったです。

一時期、心が折れて野球を続けるのは難しいかなと思ったときがあったんです。「ちょっとしんどいからやめようかな」と母に言ったら、「別にいいんじゃない」と言われて。父も母も「好きだったら続ければいいし、嫌だったらそこまで無理することない」という教育だったので、そんなにプレッシャーはなかったですね。僕のやりたいことを尊重してくれた。

――アツくなりすぎず、遠くから見守ってくれていたんですね。

ただ、小中学生の時は「当番」(指導者へのお茶出しや子どもの世話をする係)があったので、弟も野球をやってたから両親は土日は僕らに時間を使わなきゃいけないというのはありました。父親は小学校のときにはチームの監督をやってくれてましたし。

好きでやってくれている親御さんもいると思うけれど、僕自身は子どもの習い事に土日、朝早くから時間を使えるかと言ったらちょっと考えますね。両親には感謝しなきゃいけないですね。

――お父さんが監督をしてくれていたということは、野球が得意だったのでしょうか。

父はスポーツ全般そこそこできたんだと思う。すごいボールを投げてました。父親もあんまり細かいことは言わず、「楽しくやりましょう」という指導でした。平日、キャッチボールやバドミントンの相手をしてくれたのは母親。母も自分では「運動神経が鈍い」と言うけど、やったら意外とできる人だったので、付き合ってくれてました。

後編:正解はない、親は子どもをよく見てどれくらいなら耐えられるのかを判断すべき 元プロ野球選手・五十嵐亮太(後編)

特集:アスリートに聞いた「子どもの頃こんな習い事してました」

[プロフィール]
五十嵐亮太(いがらし・りょうた)
1979年生まれ、北海道出身。1997年、敬愛学園高校からドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。最優秀救援投手や、優秀バッテリー賞を古田敦也と獲得するなど、名実ともにヤクルトスワローズの守護神となる。2010年シーズンから2012年シーズンまでMLBでプレーし、通算5勝をあげる。 2013年より福岡ソフトバンクホークスに移籍。 2019年から古巣・ヤクルトスワローズに在籍。 2020年シーズンを持って引退。引退後は野球解説ほか、多方面で活躍している。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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