インタビュー
2018年8月1日

月曜から金曜までフィギュアの練習、日曜だけサッカー。プロフィギュアスケーター無良崇人(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #15 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第15回は、元フィギュアスケート選手で、現在はプロフィギュアスケーターとして活躍している無良崇人さん。幼少期からお父さんのもとでスケートを習い始め、全日本ノービス選手権Aクラスを連覇した小学校中学年のころは週6日フィギュアの練習。日曜日だけサッカーチームで活躍していたそうです。サッカーはフィギュアにどのように役立ったのでしょうか。

朝練をして学校へ、夜は9時まで練習していました

――ずいぶん小さいころからスケートを始めたそうですね。

はい。初めてスケート靴を履いたのは、2歳4ヶ月のときですね。きっかけは、うちの親父(元フィギュアスケート選手・無良隆志)がフィギュアのコーチをしていて、当時の生活パターンが、朝6時に家を出て帰ってくるのが夜10時〜11時。僕が朝起きたころにはいないし、夜寝たあとに帰ってくるので、日中スケートリンクに遊びに行くしか親父に会うことができない状態だったんです。そこでスケートリンクに遊びに行っているうちに、自然と親父がいるほうに行きたいという感情が出てきて、氷の上に出るようになって、気がついたら選手をしてたという感じです。

――他に習い事はしていましたか。

サッカーだけですね。地元のクラブチームに小学校の同級生たちがみんな行っていたので、いっしょに入っていました。小学1年から5年くらいまでです。でも、練習は週1回、日曜日だけ。遊びのようなものでした。人数がそれほど多くなかったので試合には出ていましたけど、ポジションはどこだったかな、ミッドフィルダーかな。小学生のサッカーなのでみんなボールを追って動き回っているから、明確にどこのポジションという感じではありませんでした。

「全日本ノービス」という、日本スケート連盟が主催する大会のいちばん低年齢のクラスが小学校4年生から。そのあたりからは他のことに割く時間がないぐらい忙しくなりました。朝6時に朝練に行って、そのあとに学校、終わってからは夕方から夜9時くらいまで練習。それが1日のパターンで、それが月曜から金曜まで。土曜は学校がある週とない週があったので、学校がないときは午前中ずっと練習。休みは日曜日だけでしたね。

どっちかというと学校の友達と遊ぶより、フィギュアの友達に会うほうが多かったです。同じクラブの選手は、幼稚園の子から大学生までトータルで100人近くいたんじゃないかな。それぞれ練習の時間帯はずれてはいるんですけど。

――フィギュアの友達は互いにライバル同士でもあり、ピリピリとしていたのでは?

いや、あの当時は男の子が圧倒的に少なくて肩身の狭い思いをしていたので、そういう雰囲気はないです(笑)。比率でいうと9対1くらいで女の子が多かった。(羽生)結弦の影響で、近年は男子が増えてはきていますね。

全国に選手が散らばっていて試合やクラブの合宿のときにみんなが揃うので、そのときにワーッと遊んでいました。同じ場所でいつも競い合うというより、たまに会ったときにいい状態を見せられるようにそれぞれが練習がんばろうという意識でした。

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