インタビュー
2019年2月4日
野球は4番ピッチャー、空手や陸上でも活躍したスポーツ万能少年。でも中1でプロの夢は断念。元プロ野球選手・田中浩康(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #20 (3/4)
自分で決めた香川県の高校への進学
――悩んだ中学時代、親御さんはどのように接していましたか。
父親は基本的には厳しい人なのですが、特に何か言われるわけではなく、見守っていてくれました。小学校のときに一度空手をやめようとしたときは、母親にちょっと怒られた記憶があります。空手の昇級審査が日曜日に行われるので野球の試合や練習とたびたび重なり、「野球だけにしぼりたい」と言ったら、「自分でやりたくて始めたのだから続けなさい」と。
ただ、中学のときに野球をどうしようか悩んでいたときは何も言いませんでした。香川の高校に進学して寮に入ることも自分で決めて、それを親に報告するという形でした。いつもだいたいそのスタンス。自分で悩んで決めて、やりたいことをやらせてもらいました。それは子どものときから今に至るまで変わりません。
――それは親から信頼されていたということですね。
両親とも高校まで軟式テニスをやっていて国体にも出たことがあるそうなので、スポーツに理解があったのだと思います。一緒にスポーツをやってみると、確かにうまいんですよ。子どものときは父親と3歳年下の弟と一緒に、公園でよくキャッチボールをしていました。車で少し離れた広い公園まで行くことも。
弟も大学まで野球を続けていました。兄弟とも続けさせてくれたことはありがたいですね。野球は道具も多くお金がかかるので簡単にはできませんから。それが野球人口減少の原因にもなっていますし。