インタビュー
2019年5月8日

足が遅くても体が小さくても、自分の可能性にふたをしないでここまで来ました。川崎フロンターレ・中村憲剛(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #22 (1/4)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 小学1年からサッカーを始め、他の習い事やスポーツには見向きもせずに熱中してきた中村憲剛選手。今、親として、またサッカースクール主宰者として子どもたちに伝えたいこととは?

前編:ピアノや絵画、どの習い事も続かず、スポーツもイマイチ、体育で5を取ったことはありません。川崎フロンターレ・中村憲剛(前編)

スポーツにおいても「考えること」は大切

――サッカーを続ける一方で、きちんと勉強もしていたそうですが。

「勉強はしなさい」とよく言われました。中学のときには英語の教室に通っていました。個人でやっている少人数の教室で、先生は日本人女性でしたがネイティブ並みに会話ができるので、ゆるく楽しく習っていました。そのあと中学3年のときに大人数の塾に行きましたけど、そこは進学塾だったので、ピリピリした雰囲気で全然違いましたね。

――勉強も続けていたからこそ、大学サッカーの名門・中央大学の文学部にスポーツ推薦で合格したわけですね。

俺は何においてもベストを尽くさないのが嫌な性分なんです。勉強もある程度の成績に達するまではがんばりました。結局それが進学のときにも今にも生きています。勉強はしたほうがいいです。もちろん学校の成績と関係なくプロになる人はたくさんいます。圧倒的なサッカーの才能があればそれでもいい。でも、そうでなければやはり勉強しておいたほうが長続きできるように思います。勉強というよりも考えるクセですね。学ぶことの意味をしっかり捉えて物事を行うことが大切だと思います。

――英語はのちに役立ちましたか。

大学では英米文学を勉強しました。高校までとレベルが全然違い、90分、ネイティブの先生がずっと英語を話し続けるような授業で、入学当初はかなり戸惑いましたが、半年ほどで聞き取れるようになりました。今もヒアリングはけっこうできます。しゃべるのは文法を勉強しすぎたせいか、「間違えたら恥ずかしい」という思いがあってなかなか難しい。でも、外国に行くと割としゃべるほうです。英語は今も生きています。

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