インタビュー
2019年5月8日

足が遅くても体が小さくても、自分の可能性にふたをしないでここまで来ました。川崎フロンターレ・中村憲剛(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #22 (4/4)

――中学時代に挫折を経験した中村選手だからこそ、子どもたちは励みになると思います。

そう思ってくれるとうれしい。サッカーは小さい体格の子でも勝てるからおもしろい。メッシは俺よりも小さいですけど、大男相手に点を取っていますから。才能は自分で伸ばさなくなったら伸びないんです。足が遅くても体が小さくても、「きっと無理だ」と押さえつけるものに抗えば抗うだけ何かが伸びる。俺はそれで生きてきた。

誰でもここまで来る可能性を持っています。じゃあ、どこが分岐点なのか。それは、いつ可能性に自分でふたをするか、だけ。自分が自分にふたをしたら終わり。才能だけじゃ足りない、努力だけでも足りない、それ以外の「何か」が必要。その「何か」はベタですけど、あきらめない心。ねばり強くやってれば道は開ける。それを伝えたい。

2017年にはJ1優勝もしました。2003年に入団してから15年かかりましたが、この15年の間に「無理だ」と思ったら、下降していたと思うし引退していたと思う。2016年には個人でもMVPを受賞していますし、38歳でも現役という選手も多くない。自分にしか持っていないものが増えてきて説得力が出てきているので、中村憲剛がどう成長してきたか、子どもたちに伝えていきたいと思っています。

アカデミーに来てくれた子どもたちが将来こうしたインタビューを受けて「KENGO Academyでサッカーを習っていました」と言ってもらえたら素敵ですね。

――自分の可能性にふたをせずに諦めない。結果的に優れた選手やプロ選手になれなくても、その姿勢は人生の他の場面でも役立ちそうですね。

自分が満足できるところまでベストを尽くす機会はそう多くないと思うんです。習い事はその大切な機会のひとつ。結果が出ようが出まいが、やりきったという経験は他のところでも必ず生きてくる。同時に、「まだまだだ」「もっと可能性がある」と教えてくれる場所でもある。

俺は早い段階で選択肢をサッカーだけに絞りましたが、野球、バスケ、バレー、テニスなどスポーツだけでなく、ピアノやそろばん、誰もが大いなる可能性を秘めている。可能性を生かせるものに出会うか出会わないかの差のような気がします。なるべく出会えるように選択肢を広げてあげる、そういう環境を提供するのが親の仕事のように思います。

ただ、子どもを無理やり引っ張り上げるのではなく、進もうとしているところを後押しするくらいがいい。本人がやりたくなかったら伸びないですし、伸びたとしても天井があるので。

一方で、アカデミーに来る子には自分がなぜ楽しくサッカーできるのか、その意味を理解してご両親に感謝しなさいと言っています。意外とこの状況が当たり前だと思っている子が多い。いちいち「ありがとう」と言う必要はないけれど、感謝の気持ちというベースを持っているかどうかは大事なことだと思います。

――将来的な目標は、やはり指導者でしょうか。

そうですね。基本的にはサッカーに従事すると思います。ただ、まずは現役をしっかりまっとうしてから。限られた時間だと思いますが、しっかりと集中してプレーし、直近の目標はチームの3連覇とカップ戦のタイトルです。

[プロフィール]
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年生まれ、東京都出身。小学1年生から府ロクサッカークラブでサッカーを始め、都立久留米高校(現・東京都立東久留米総合高校)、中央大学を経て2003年に川崎フロンターレ加入。2006年、日本代表としてデビュー。国際Aマッチ68試合出場6得点。2005年から2018年まで14年連続Jリーグ優秀選手賞を受賞。Jリーグベストイレブン8回選出。2016年にJリーグ最優秀選手賞(MVP)を最年長で受賞した。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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