
「僕らには『キン肉マン』があるやないか!」ゆでたまご・嶋田隆司先生が語る『キン肉マン』(前編)│熱血!スポーツ漫画制作秘話 #3 (1/3)
スポーツ漫画の作者にご登場いただき、名シーンが生まれた舞台裏や、あのキャラクターが作られたきっかけなど、制作秘話をお訊きする「熱血!スポーツ漫画制作秘話」。
第3回は連載当時、社会現象を巻き起こすほどの大ブームを生み、現在の週刊少年ジャンプの基礎を作った『キン肉マン』の原作を担当するゆでたまご・嶋田隆司先生に、キン肉マンの誕生秘話についてたっぷりと伺いました。
▼後編はこちら
小学生連載作家、誕生!
——嶋田先生が漫画家を志したのはいつ頃なのでしょうか?
僕が漫画を読み始めたのは、幼稚園くらいからなんです。親が子どもに勉強させようと思って、小学館の学習雑誌、「めばえ」とか「幼稚園」とか「小学○年生」とかを買ってくるんですよ。でも僕はどうしても漫画ばっかり読んでましたね。手塚治虫先生の「ガムガムパンチ」とか、あと藤子不二雄先生の漫画が1年置きに変わって。小学1年生だと「オバケのQ太郎」、小学2年生で「パーマン」、その次に「ウメ星デンカ」、それで「ドラえもん」みたいな。
▲スラスラと作品名を上げる嶋田先生
——素晴らしい記憶力ですね!
それで小学5年のときに交通事故にあって、3か月くらい入院するんですよ。そのときに親が買ってきてくれた月刊少年ジャンプの中に新人賞の作品が載っていて、「あ、漫画家ってこうやってなるんや」と思って。出版社って東京にしかないから、地方の子が漫画家になろうとしたら投稿するしかないんだとわかったんです。そこで初めて漫画家になろうと思いましたね。
——現在もコンビを組んでいる中井義則先生との出会いはいつ頃でしょうか?
中井くん……、相棒はその事故の少し前に僕の住んでた団地に引っ越してきたんです。それで学校にいくのも同じ方向なので、クラスは違うけど仲良くなって。でも本当に仲良くなったきっかけは、実は僕、小4くらいから、物語みたいなのを書いていて。答案用紙の裏にデタラメな絵を描いて、ストーリーをバーっと口で喋ってみんなに見せていたんです。そのうち漫画みたいなのも書き出すんですけど、そうするとみんな面白いって言ってくれて、他のクラスにまで回覧されて。その頃に初めてちゃんと漫画として描いたのが「キン肉マン」だったんです。
——キン肉マンの原型は小学生のときに、すでにでき上がっていたんですね。
そのときはまだ、今キン肉マンに出てくるシシカバ・ブーの顔でしたけどね。それで、その「キン肉マン」をいつものように描いて、みんなと回覧してたら中井くんもそれを読んで、描くんですよ、「キン肉マン」を。それで僕「盗作やないか」って文句言いにいって(笑)。
——海賊版を作られてしまったと。
そうすると中井くんも「いやこれは著作権フリーだ」なんて言い返してね(笑)。そこで意気投合して、2人で「嶋田マガジン」、「中井マガジン」みたいな雑誌を作ったんです。連載漫画を5つくらい持って、と言ってもみんな同じ作者なんですけど(笑)、同級生の反応を見て競争したりしてましたね。
——その頃から読者の反応を意識していたんですね。そのおふたりがコンビを組もうと決めたのはどんな理由からですか?