インタビュー
2018年10月4日

NGT48・長谷川玲奈「今でも『練習で泣いて、試合で笑おう』という言葉が胸に刻まれています」(後編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#15 (2/3)

中学3年生で勝ち取ったレギュラーの座

——中学3年生になってからはレギュラーの座を勝ち取ったそうですね。

はい。セカンドで。背番号「4」が絶対にほしかったんですよね。だから、チーム練習が終わった後に自宅でバッティングの特訓もしたりして。

——どんな特訓をしたのでしょうか?

家に帰って素振りをした後、父にバッティングセンターへ連れて行ってもらって、毎日200球くらい打ってました。それで手に豆ができて血だらけになることもあったんですけど、130キロまで打てるようになってレギュラーになれました。

——130キロはすごいですね。

一時期だけなんですけど、レギュラー陣のなかでいちばん打率が良かった時期もあったんですよ。

——打順は何番でしたか?

調子が良いときは2番。打てなくなった時期は8番でした。それでバッティングに自信がなくなったことがあったんですけど、監督から「バントを極めろ」と言われて暇さえあればバント練習するようになりました。それ以降は、試合中にバントを任されることも増えて。サインが出てないときでも、ここは絶対にバントだろうなと思うときは野手のポジショニングを確認して、どこにどう転がそうかって計算してましたね。

——中学3年生のとき、スポーツ推薦のオファーもたくさんあったと聞きました。

うれしいことに新潟県の審判方の間でけっこう有名になってたみたいです。それを聞いた市内、県外の女子野球部がある学校から声をかけていただきました。あと陸上部からも勧誘がありましたね。

——野球はわかるんですが、陸上のオファーはどういう理由で?

野球の練習ができない冬の時期に駅伝部の練習に出ていたんですけど、野球部を引退した後に陸上部の下越大会に出場したんです。そうしたら走り幅跳びで5位に入賞しちゃって(笑)。それで10校以上から勧誘されることになりました。

私がきっかけになって野球少女が増えたらうれしい

——長谷川さんは、そうした抜群の運動神経を活かした仕事も多いですよね。2016年には、プロ野球の始球式で、あの大谷翔平選手からストライクを奪いました。

私にとって初めての始球式だったんですけれど、人生でいちばんうれしい瞬間のひとつでした。後からVTRを見直したら大谷選手が「ナイスボール」って言ってたんですよ。プロの選手に褒められるなんて光栄でした。

——観客席からは大きなどよめきが起きてました。

私が女の子だから「ボール、届くの?」っていう目で見てくるんですよね。中学のときもそうでした。でも、ダブルプレーでアウトを取ると「おおー!」って歓声が上がるんですよ。それがまたうれしくて。そのときとちょっと似てるかなと思いました。でも、いちばんに考えていたのは、観戦に来ていた女の子たちにメッセージを届けたいということでした。

——どういうことですか?

野球を始める女の子が少しでも増えたらいいなと思ってます。中学のときもそうだったんですけど、私の姿を見て野球を始めた子がたくさんいたことがすごくうれしかったんですね。あれだけの人が球場いれば、きっと野球に興味がある女の子も来ていると思うんですよ。そういう子たちに、女の子でも野球をやっていいし、私みたいにマウンドで投げることもできるんだよって知ってほしかったんです。

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