インタビュー
2023年5月24日

マジカル・パンチライン浅野杏奈「6年間続けたバスケ。夢のためにやめることを決意しました」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#22 (2/3)

——日々はどんな練習をしていたんですか?

ボールを使う練習が多かったです。ロングパスを受け取るプレイが多かったので、高学年になって試合に多く出るようになってからは、私だけ特別メニューを組んでもらうこともあって。ゴールに向かって走りながら、後ろから飛んでくるボールをキャッチして前を向くだけの練習を繰り返していたこともあります。落とすことが許されなくて、ミスをすると女性コーチから広島弁で「腕に穴が開いてんのか!」って怒られてました(笑)。手の皮が剥けるくらいやったのを覚えています。

——ものすごい数を繰り返したんですね。

ほかにも100本連続でゴール下のシュートを決めるまで終われないとか、そういう反復練習をしてました。

——そうした練習の結果、大会では良い成績を残せたんですか?

小学6年生のときに渋谷区の大会で優勝できました。学年的にも最後の挑戦だったからうれしかったですね。それに普段あんまり出られないメンバーも出場できて、みんなで試合に勝てたのもすごく良かったです。

——自分が活躍するだけじゃなく、チームメイトと一緒に楽しみたい気持ちが強かったんですね。

そうですね。いまでも仲良しでたまに会ったりしています。あと当時のことで覚えているのが練習後のこと。近くのファミリーマートにいつも集まって、みんなでおしゃべりしながら夕張メロンパンを食べるのが楽しみでした。外はサクサクで、中はオレンジ色のクリームが入っていて、とってもおいしいんですよ。

——そのほかに記憶に残っていることはありますか?

小学3年生と6年生のときに代々木第二体育館で試合をできたことがすごく印象に残ってます。

——日本のバスケットボール界では“聖地”のひとつと言われていますもんね。

3年生のときはなぜか所属していたクラブがトップリーグの試合の前座を務めることになって。まだバスケ初心者で、ちょっとドリブルしてパスしただけだったんですけど、すごい場所に立ったんだということだけはわかりました。6年生のときは渋谷区の選抜メンバーに選ばれて、日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)VSトヨタアルバルク(現・アルバルク東京)の前座として試合に出れて。そのときのことはあんまり記憶にないんですけど、実業団の試合でライスという選手が出場していたことだけはなぜか覚えてます(笑)。

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