インタビュー
2020年2月19日

26時のマスカレイド江嶋綾恵梨「バレーボールがきっかけで、心身ともに変わることができた」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#28 (2/2)

人生初の試合でサーブを決めたうれしさは今でも忘れられない

——小4で入部して、試合に出られるようになったのはいつ頃ですか?

実はけっこう早くから試合には出れたんですよ。入部して半年くらい経った頃に、ピンチサーバーとして出場したのがきっかけで。それ以降はレギュラーの先輩たちに混ざってプレイしてました。

——人生初の試合出場は緊張しましたか?

そりゃ、しましたよ! 周りはみんな6年生だし、ピンチサーバーでミスったら二度と出してもらえないかもしれないし。あのときの緊張感は今でも覚えてますね。

——そのサーブの結果は……?

成功しました! 今でも覚えているんですけど、周りの子たちはオーバーハンドサーブができたのに、私は体が小さかったのでアンダーハンドしかできなかったんです。

それが嫌でオーバーハンドサーブの練習していたんですけど、コーチから「人それぞれ体型は違うものだから気にすることない。それよりも今できることを100にしなさい」と言ってくれて。

しかも全体練習が終わった後にアンダーハンドをいかに極めるかという個人練習にも付き合ってくれて。それがあったから人生ではじめての試合でも、ピンチサーバーとしてサーブを成功することができました。

——レギュラーになってからはどのポジションを任されたんですか?

中3で辞めるまで、ずっとセッターでした。当時の身長が151センチで、今とほとんど変わらないくらいなんですけど、ほぼ伸び切ってたので、どんどん小さい方になっていって。

——バレーボールをやっていて、特にうれしかったことはなんですか?

6年生で副キャプテンになったときがいちばんうれしかったです。先輩が引退する少し前のタイミングで、キャプテンひとり、副キャプテンふたりが選ばれて、引き継ぎ期間があるんですよ。一緒に選ばれたふたりも、一緒によく先輩に混ざっていたので、3人で喜んだのを覚えています。

——副キャプテンになってからは、リーダーシップを発揮する場面もあったのでしょうか?

仕切ったりすることはなかったけど、走るときに声を掛けたり、自主練のときに後輩の指導をすることはありました。あと監督と話すのは私たち3人が中心だったので、何かあったら私たちが怒られていました。たとえば、部員の遅刻が増えたことがあったんですけど、「お前たちがたるんでるからだ」って怒られた記憶があります。

後編:26時のマスカレイド江嶋綾恵梨「いつかバレーボールチームの応援大使になりたい」(後編)

[プロフィール]
江嶋綾恵梨(えじま・あえり)/26時のマスカレイド
1996年5月4日、福岡県生まれ。2019年8月にメジャーデビューした26時のマスカレイドのリーダー。デビューと同時に発売したミニアルバムで各ランキング1位を獲得。小学校4年生から中学校3年生までバレーボールを続けていた。ポジションはセッターで、憧れの選手は元日本代表の竹下佳江さん。

【公式Twitter】@nijimasu_aeri
【公式Instagram】@aeringoooo

●2月20日よりスタート
初の地上波冠番組「26時“ちょい前”のマスカレイド」
毎週金曜午前0:59~1:29(木曜深夜)日本テレビにて放送
※初回2月20日は、午前1:49スタート

●5月15日 26時のマスカレイド スペシャルライブ 2020 in OSAKA 〜ニジマスアドベンチャー〜@Zepp Osaka Bayside

●6月6日 26時のマスカレイド スペシャルライブ 2020 in TOKYO 〜ニジマスアドベンチャー〜@東京ドームシティホール

<Text:森祐介/Edit:村上広大/Photo:後藤巧>

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