インタビュー
2018年4月22日

自分のカラダ、どれだけ分かってる?音楽アーティストが専門家に聞いてみた (3/4)

廣戸:小学生の頃にいろんな習い事をさせてもらっていて、どこかに習い事に行くと、一番初めに「こういうことが基本だから、この基本はちゃんとやりなさい」と言われますよね。その「基本」というワードが日本人の習い事にはけっこう多くて。もっともだろうと、子どもながらに思うのですが、ただ、習ってみるとその基本となるものがジャンルによってブレるわけです。極端に言えば、あるところだとやっちゃいけないと言われたものが、別のところではやらなきゃいけないことだったりして、そこで困惑していたんです。逆にうまくいっている習い事も、先生が代わると急に、「え? そんなふうに聞いてないんだけど」っていうところで。

KURO:はい。

廣戸:性根から負けず嫌いだったものですから、結果を求めていくっていう形をしていた時に、「どうもこの先生とは俺、合わないかもしれない」とか「憧れている先輩の動きだけど、どうやってもできないな」ということがあって。人にはタイプというものがあるのではないかというところに行き着いたのが、10歳ぐらいですね。

KURO:へー、けっこう早い段階で。

廣戸:そこから、いろんな人を見ていると、特性というか、何か構えた時に、前足になんとなく軸線が見える人と、後ろにタメて軸線を持っている人と分かれてきて、どうやっても僕は前側に軸線を持っていくことができなくて。あ、なんかこんなんで二分されるんだなと。そういう人の動きというのを常日頃見るようになって、18〜19歳頃に、どうもおおまかに4つのパターンに分かれるんじゃないかなっていうようなところに行き着いたんです。

KURO:これは後天的なものなのでしょうか。例えば、左手だった人が右手に変わって、それによってスタンスが変わってきたりとかするのでしょうか。

廣戸:良い指摘ですね(笑)。利き手っていうのは、右投げ左打ちとか、ボクシングでも両サイドで構えたりとかっていうこともできて、利き手度数というものがあるんですよ。だから訓練をしていくと、ある程度コントロールができるんですね。だけど、「利き目」っていうのは変えようがない。根性じゃどうしようもできないから。だから基本的にはそちらの方に含まれる身体の特性ではないかと思ったりするんです。

KURO:なるほど。

廣戸:僕たちって「意識的にこうやって努力しましょう」とか、「こうやって身体を使いましょう、そこを意識して」と言われたりするんだけど、実はこれが現代医学やスポーツ科学だと、ちょっと無理な世界でもあるんです。要するに、自分の頭、自分の骨格が今どういう座標であるか、位置関係でフォーメーションされているかってことを、全身の協応という感覚。“協同して応じる”感覚ですね。それで、“自分の形がちゃんと良い形で網羅されているかどうか”ってことを感じるってことが、準備体勢。これがルーティンっていうものなんです。そこがこの骨格学っていうのかな、この身体学の一番おもしろいところだなと思うんです。

音楽の現場にも浸透してほしい

▼KURO▼

 身体は限りなく意識を無意識にさせていくこと。この話は音楽を生業にしている自分にも大変興味深かった。例えば、楽器を弾くとき、歌を唄うとき、思えばその動作の一つ一つに準備体勢というものが無意識の内にある。そしてあるときからそれがルーティン化されていく。そのどれかが少しでも欠けたり崩れたりしたとき―—。つまり軸がブレると、途端に平常心を失い、パフォーマンスは心もとなくなる。だが、もしも自分の「4スタンス」を知り、その特性を掴むことができれば、本来の力点に瞬時にまた立ち返ることができるかもしれない。

KURO:この理論は音楽の現場でも役に立ちそうですね。音楽の現場にもっとこの理論が浸透するといいなと思ったのは、リズムを裏で取っている人と、すごく走ってしまう人間に分かれるんじゃないのかなと感じていて。

僕は、裏でリズムを取ることに憧れるんです。外国人、特に黒人はみんな、リズムをそうやって取るので。そういうのを、自分がまずどっちなのか。まれに後ろで取ってるアーティストもいるんですけどね。それを知ってどう改善していくのかっていうのを習得することが、けっこう勉強になるんじゃないかって感じました。

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