箱根駅伝を創った伝説のマラソンランナー・金栗四三とは。その功績と激動の人生を辿る (3/3)
箱根駅伝で世界に通用する選手を育てたい
金栗さんは、1912年のストックホルムで途中棄権した後、1916年のベルリンを目指しながら世界に通用するランナーの育成にも取り組み始めました。
一度に多くのマラソン選手を育成する方法としてたどり着いたのが、「駅伝」だったそうです。その後、1920年に開催した「四大専門学校対抗駅伝競走」に向け尽力します。さらに日本女子スポーツの振興にも携わり、女子テニス大会を開催するなど誰でもスポーツができるようにと日本スポーツの黎明期を支えます。
選手引退後も「体力・気力・努力」というカナクリズム精神で、オリンピックなどの国際大会で活躍するランナー育成に貢献し続けます。その結果、多くの実績と功績が認められ、1955年スポーツ界初となる紫綬褒章を受章しました。
▲1955年紫綬褒章受章時の金栗さん
そして、選手育成のために始めた駅伝こそ、今年で100年の歴史を重ねることになる「箱根駅伝」なのです。第80回大会からは、金栗さんの功績を讃えるために創られた「金栗四三杯」という箱根駅伝最優秀選手賞が贈られるようになりました。最初の受賞者は、学連選抜初の区間賞を受賞した筑波大学の鐘ヶ江幸治氏が選ばれました。奇しくも、金栗と同じ筑波大学出身者です。
▲最優秀選手に贈られる「金栗四三杯」のカップ(和泉町教育委員会)
このカップは、1911年金栗さんがオリンピック国内予選大会で授与された優勝カップを複製したもの。金栗さんが優勝カップを手にしてオリンピックに出場したように、「金栗四三杯」を手にした選手も世界で戦ってほしいという願いが込められているのかもしれません。“山の神”として知られる今井正人選手(順天堂大学→トヨタ自動車九州)や柏原竜二さん(東洋大学→富士通)、神野大地選手(青山学院大学→コニカミノルタ→セルソース)も受賞し、国際大会へ出場。ほかの受賞者も、マラソンやほかの種目などで国際大会へ羽ばたいています。
▲玉名高校生と金栗さん
2020年の第96回大会では、金栗さんの母校である筑波大学が26年ぶり61回目の出場を果たしました。
観戦するときは、ぜひ「金栗四三」という伝説のランナーの功績を頭に浮かべながら現役ランナーたちの激走を応援しましょう。その中から世界に羽ばたく次なるランナーが見えてくるかもしれません。
[写真・歴史資料協力]
・玉名市役所
・和泉町教育委員会
[関連サイト]
玉名市ホームページ
https://www.city.tamana.lg.jp/
金栗四三ミュージアムホームページ
http://www.kanakurishiso.jp/
<Text:アート・サプライ/Photo:玉名市役所・和泉町教育委員会提供>