インタビュー
2019年12月7日

桐谷健太インタビュー「アスリートたちが五輪の舞台でパフォーマンスを見せる前に、すでにたくさんのドラマが始まっている」(いだてん) (2/3)

河野一郎の葛藤について

――第37回では国会で演説するシーンがありました。どう演じましたか。

国会中継が頭をよぎることは、もちろんありましたけど、国会中継を真似することはしていません。誰を真似するではなく、自分の中の思い、本当はオリンピックをしたいんだけれど戦争が始まってしまうという思いを大事にした。現代の人たちには、なかなか理解できない状況かも知れない。自分が思う正しいこと、政治家としての在り方、それを思いっきり腹から声を出して言おうと思って撮影に臨みました。

――オリンピックにあれだけ反対していた人が、戦後は招致側に回り、果ては東京オリンピック担当大臣になります。ご自身の中で葛藤は。

脚本ではそこ、さらっとなっているんですよ(笑)。自分の口で説明する場面もありました。「戦前、国会でオリンピック返上を主張した河野が、何を今さらという声もあるだろうが」と、ちゃんと言っています。でも脚本ではわりとシュッと通り過ぎちゃう(笑)。

そこまでのドラマは描かれていませんが、自分の中では葛藤があったと思います。でも河野としてはオリンピック担当大臣には、すごくやり甲斐を感じていて、きっと血が熱くなったと想像しています。ご本人に聞かないと分からないところはありますけど。自分としては、そんな気持ちでやりました。

――河野さんのイメージは。

資料をたくさん読ませていただき、脚本も並行して読んでいく中で、まずはホンマにパッとこう、頭に思い浮かぶイメージを言葉にしていきました。ガキ大将とか、風穴を開けていく男、オシャレボーイ、金持ちの余裕、みたいな。それが徐々に自分の中に浸透していった気がします。そこは客観的なインスピレーションの部分ですね。いざ、演じるとなったときに「えぇと俺はオシャレボーイで……」とかは思わないですけどね(笑)。客観的な部分が頭の中で整理されていると、役柄に入っていく時に効いてくるんです。

そう言えばこの前、秘書の方がご挨拶に来られたんです。河野太郎さんの秘書の方、洋平さんの秘書だった方も。その方たちが言うには、河野一郎は廊下をすれ違うときに風圧を感じる人だったと。そんな政治家が過去に2人おられて、1人が田中角栄、1人が河野一郎さんだったと。そんな逸話がある人だったみたい。「でも桐谷さんも風圧ありますよ」と言っていただいて(笑)。「それ絶対...(笑)。あ、あの、ありがとうございます。お世辞でもうれしいです」みたいな感じだったんですけれど。

河野洋平さんは、今村昌平監督の映画(『ええじゃないか』1981年)に出られたことがあった。洋平さんが監督に「芝居もしていない自分を、なぜ選んだんですか」と聞いたときに、眼力だと言われたそう。他の人にはない眼力がある、だから芝居経験の有無は関係ないんだ、君なんだ、と言われたそうです。「でも桐谷さんも眼力ありますもんね」と言っていただいて(笑)。ありがとうございますと(笑)。全部つなげて気を遣ってくださる秘書の方でした。

――オシャレボーイの部分で、衣装にこだわりはありましたか。

記者役のときなら衣装合わせのときに、素材であったりサスペンダーであったり、そこは衣装さんと話すことがありました。人と違う服装=おしゃれということではないと思っていて。きっちりしているけど、崩すところは崩す、そんなこだわりがある人だったのではないかと想像しています。

田畑との思い出

――阿部さんとのやり取りで、印象的だったことは。

新聞記者時代は、阿部さん演じる田畑が高い声で、ぎゃーぎゃー言うて走り回っている傍らで河野は重心が低くて声も低い。ズドンとしていて、その対比がおもしろかった。でもスポーツを愛しているという共通点があったんですね。

まだ通信が発達していない時代。海外のオリンピック会場で起こっていることを、カタカタ、カタカタと文字に起こしていった。そこで誰々がメダルを獲った、ということが分かって田畑と河野が抱擁するシーンがありました。すごく印象的でした。

河野は政治家になった。セリフで「記者をやっていてもダメだ。議員になって村の用水路を1つでもつくる方が、人のためになる」と言っています。その言葉は、河野を演じる上でも基盤になりました。なるほどな、そんな人だったんだろうなと思ったシーンでしたね。

オリンピックを返上して、東京開催が中止になって。競技場で戦争に行く若者たちを見送るシーンがあります。学生たちが大雨の中を行進している。若者たちが「バンザーイ」と言いながら去っていく声が聞こえる。見るに堪えなくなった河野が、ひとりで戻るとき、田畑が追いかけてきて「これで満足かね、河野先生」と言います。そこで2人の関係性が描かれる。満足なわけないし、戦争が起こっていることをよしとなんて思っているはずがない。すごく心に感じるものがあったと思いますね。

時が経って1964年に向けた東京オリンピック担当大臣に就任して、そこからちょっと経って亡くなっていますよね。やりきったのか、もしくはホッとしたのか。政治家として他にもやりたいことがあったでしょう、真実は分からないですけれど。でも東京オリンピックを返上してから、ずっと後悔もあったでしょうし。担当大臣になって、やっと報われた部分があったんじゃないですかね。

学徒出陣における田畑とのワンシーンで、河野の心情を垣間見せられる。さすが宮藤さんだなと思いましたね。お互いがどう思っていたかも感じてもらえる場面。思い出深いです。

――河野は田畑を敵対視しながら、特別な愛情もあったのでしょうか。

あったでしょう。羨ましさも悔しさもあった。だからこそ、こっちもやってやろうという気になる。心の友だったのではないでしょうか。

――桐谷さんご自身は、オリンピックに関してどのような発見がありましたか。

発見だらけでした。もともと、そこまでオリンピックに詳しくなかったので、こんなに大変だったんだなと。イチバン最初は出場者が2人だったとか。こんなにもたくさんの男のロマンがあり、それを支える女性たちがいたとか。だから来年のオリンピックは、違った視点から見ることができそうです。「いだてん」に出ていなかったら、このドラマがなかったら、サラっと見ていたかもしれない。これは個人の感想ですけれど、違った感じになっていたかも。いまは変わった感覚で見られます。

きっと今も(組織委員会の)中ではものすごくバタバタしているんだろうな。怒号が響いていたり、もう寝不足だー、でもやるしかない、みたいな人たちがたくさんいるんだろうなと思います。ドラマをやるまでは内情を知らなかった。いまの時代の方が、「いだてん」の時代よりも忙しい可能性だってあります。携帯電話があるから休めない。昔なら「徹夜でやっていたけれど、電話が来ないからしょうがないよね」とかあったでしょう。

交通機関も、例えば新幹線だって今よりもっと遅かった。だから「しょうがないよね」みたいなことが、今は「え、もう着いたの。もっと寝たかったな」みたいな、そんな人たちもいるんだろうなと思うと、すごく愛おしくなる。アスリートたちがオリンピックの舞台でパフォーマンスを見せる前に、すでにたくさんのドラマが始まっている。実はオリンピックが開催する前にはドラマが終わり、ホッとしている人たちもいる。良いな、と思います。

ボクらの仕事もそれに近い。「5秒しか映らないシーンなのに、ものすごい大変だったんやでー」みたいなことも、あるじゃないですか。そこに至るまでに練習もして、努力もして、それでもカットされたり。ちょっとこう、似たような愛おしさが沸きますね。だから来年は違った視点で見られる。いまも大変な人たちがいる。俺も頑張ろう、と思いますね。

1 2 3