インタビュー
2018年8月2日

視覚障がい者マラソンの女王と元実業団ランナーの邂逅。思い出は、“山登り”。マラソン道下美里×ガイドランナー河口恵(前編)│わたしと相棒~パラアスリートのTOKYO2020~ (2/3)

実業団陸上からの引退と重なった“運命的な出会い”

――マラソンを走ることに決めたのはどのようなきっかけがありましたか?

道下:中距離でパラリンピックを目指していたのですが、「記録的に厳しいかな」と限界を感じてしまって。「走るのが嫌だな……」と思っていた頃に、思わぬニュースが飛び込んできたんです。私の地元である山口県の下関市でマラソン大会が始まると耳にし、マラソンは一度走ってみたいな、とずっと思っていた気持ちがあって、当時指導していただいていた監督からも、「長い距離の方が向いているんじゃないか」という後押しをもらって、「じゃあ、挑戦してみよう」と。

――それが2008年。それからロンドン・マラソンでの連覇や、リオパラリンピックでの銀メダル獲得と実績を積み重ねていくわけですね。リオパラリンピックで初めて、視覚障がいの女子マラソンが採用されたんですよね。その時には、河口さんと道下さんは知り合っていたのですか?

河口:出会ってましたね。2016年の4月から、伴走をさせていただくようになりました。

道下:私が4月に入社をしたのですが、実業団で走っていた河口さんが、競技を引退して、福岡に異動してきたんです。

河口:3月頃でした。

道下:そこで運命的な出会いをするという(笑)。

河口:会社の上司が道下さんのことを紹介してくれて、「安定した伴走者を探している」と聞いて。当時は視覚障がいのことも、競技のこともまったく知らなくて、まずは本を読んだり、映像を見て、道下さんがどんな人なのかを調べて、「こういう競技があるんだ」とちょっと、びっくりして。それから、「一緒に走らせて下さい」と、伴走がスタートしました。

――河口さんは、引退されて、一度競技から離れたわけですよね。再びランニングに関わりたいと思ったのには、理由があったのですか?

河口:引退した直後は、「もう走りたくない」と思っていたんですけれど、道下さんと会う前に、1ヶ月間ほど働く中で、少しランニングもしていて、「やっぱり走りたいな」という気持ちを少しずつ取り戻してきて。そこに偶然、道下さんと出会って、「挑戦してみたいな」と思ったんです。

――道下さんは、河口さんと初めて会った時の印象はどのような感じでしたか。

道下:周りの方からは、「すごい可愛い子だよ」と聞いていました(笑)。「伴走もしてみたい」と言ってくれて。引退しても「走りたい」という気持ちがあるということは、走ることが好きなんですよ。でも、「走りたいけど、できるかな」っていう不安もあったと思う。印象としては、“可愛くて、明るくて”…(笑)でも、芯がしっかりしていて、すごく落ち着いているな、とも思いました。だから、もっと持っているものを引き出したいというか(笑)、そんなことも思っていましたね。実業団選手は、陸上競技に一途に取り組んできた人なわけですから、私の方が学びたいという思いがすごく強くて。だから、メグちゃんには質問ばっかりしてました。

――例えばどのような質問をしていたのですか?

道下:例えば、トレーニングに臨む上での気の持ちようとか、辛くなってきた時にどういう意識で走るか、といったことですね。ガイドって、隣で走りながらも、練習中はコーチみたいな役割でもあるんです。私は(河口さんの)「頑張れ」という意味も込めた指示出しのバリエーションがすごく勉強になっています。他にも、効率的なランニングフォームを身につける上で、どういう動きをしていたのかを聞いたりとか。私は市民ランナーからスタートして、今はこうして会社に所属していますけど、実業団陸上は私の知らない世界なので、毎日が刺激的でした。

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