インタビュー
2021年9月16日

寺田明日香選手がたっぷり語る、夢の舞台・東京オリンピック。次の目標は?[特別インタビュー] (2/3)

オリンピック終了後の心境は悲喜こもごも

―― 結果を振り返って、ご自身でどのような分析をされましたか。

予選のスタートはよかったと思いますが、中盤・後半になるとサーっとおいていかれました。ただドーハでの世界陸上(2019年)では、最初から引き離されている感覚だったのが、オリンピック予選では3台目くらいまで「行けるんじゃないか!」って感覚もありました。

外国勢が中盤から加速していくことはわかっていました。でも加速率も違い過ぎて、最初は同じスピード曲線だったのが、6台目になると私のは穏やかになっていました。それでも最初は同じスピードだったのは、自身の成長を感じることができた瞬間でもありました。

―― 予選では「12秒95。日本勢として21年ぶりの準決勝進出」という快挙を成し遂げましたね。

走り終えたときは、次のレースで決勝に残るためにどう走ればいいかで頭がいっぱいで、ミックスゾーンでいろいろな人に「21年ぶりですね!」とか「初の12秒台ですね!」と言われて、やっと実感がわいた感じでした。

改めて考えると21年前の2000年、金沢イボンヌさんがシドニーオリンピックで準決勝に出た以来かー。21年っていうと娘の果緒(かお)が成人しているんだよなぁとか。シドニーでは、今では懇意にさせていただいている高橋尚子さん、当時「Qちゃん」ブームで私も母に同じJapanのジャージをねだったことを思い出しました。

そのくらい止まっていた長い時間を自分が動かせたことに、じわじわと感動しました。同時に今後どうすればいいのか、どうコマを進めていくべきか。4年に1回のオリンピックだからこそ、その瞬間にベストが出ないといけないし、先に進まないといけないとも自覚しました。

―― 準決勝が終わった瞬間どのようなことを考えていましたか。

もちろん、悔しくて悔しくて、仕方ない気持ちでした。ハードル4台目まではスピード感がありましたが、ほかの選手も中盤から加速していき、結果引き離されていくという。1台目ってみんな低い位置から入るので怖いと思うんですよ。そこを思い切り越えたのはよかったのですが、伸びやかに走っていると、歩幅が詰まってブレーキになってしまうのでリズムを刻んでいく感覚ですね。それでも8~10台目は、もう「気合いだ!」って感じで走っていました(笑)。

やはり決勝に進む選手たちには、まだまだ遠いなーというのが正直なところです。もちろん予選と準決勝の2本を走れたことはうれしいことでした。東京でのオリンピックが決まって8年、ラグビーから陸上へ復帰した5年が終わっちゃったんだなーと思うと、さすがにちょっと寂しくなりました。

でも1つ決めていたのは、「ミックスゾーンでは泣かないこと」です。みなさん泣かせようとするじゃないですか。娘の話とか出されたら絶対に泣くじゃないですか!(笑)。だからレース直後、自分を整えていかないとも思いました。

それでも自分の悔しさに反して、状況をとてもよろこんでくれる人たちも多くて、その意味ではケガもなく走れてよかった。終わってホッとしている自分もいました。

見守り続けてくれた家族からの言葉と成長した姿

―― 準決勝後、家族からかけられた言葉は覚えていますか。

オリンピック中も家族とは、SNSなどで連絡をとっていました。でも連絡できるのが夜なので、私も夫も手短に「じゃ、がんばるね」程度でしたね。家に帰ってきたときも「よかったねー」とか「おつかれさーん」とか、あっさりしていました。でも夫も興奮冷めやらぬ感はたっぷりあって、いろいろ聞きたいんだろうなーと思いましたけど、彼なりの気づかいだったと思います。

娘とは家に帰った日の夜、一緒にお風呂に入ったんですよ。2人だけのときに「ママ準決勝行けて良かったねー! おめでとう!」って言ってくれたんです。ふだん褒めてくれないので、「あら珍しい、ありがとう」と言いつつウルウルしちゃいました。

娘も今までの大会と違うオリンピック。そこを目指したママや選手たちのこと、関わった人たちのよろこんでいる姿をみて、その特別感を少し理解してくれたのかもしれません。テレビカメラもなく、2人だけの時間で言ってくれて本心だと思えたことで、何か報われたなーと感動しました。

▲大会後、家族のもとに戻った寺田選手。娘の果緒ちゃんと、夫・峻一さんとオリンピックエンブレムの前で

―― 寺田さんのママとしての生活に変化はありましたか。

私のオリンピックが終わった後、今度は夫がパラリンピックでのお仕事のため家を空けていました。そのとき小学校への送り迎えをしたのですが、娘の友だちが「かおちゃんママだー!」って声をかけてきてくれて。それをみた娘は、恥ずかしそうでしたが「ママ、ちゃんといるんだよー」って言っていましたね。娘にも友だちにも癒されました。

ねぎらいの言葉もそうですが、娘の意思表示ができるようになってきたなとも感じています。私は選手として目標を決めて、計画的に動いています。娘も習い事などは、「継続してやらないといけない」「嫌なこともやっていかないといけない」ことを感じとってくれているのではと考えています。そこに葛藤はあるみたいですが、オリンピックもそのきっかけになっていると思います。

▲閉会式は自宅に帰っていたので、家族で。日本選手団のスーツを着て、テレビの前で行進

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