ラグビーをしている時だけは自分を素直に表現することができた。元ラグビー日本代表・大畑大介(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #6 (1/3)
スポーツ界の第一線で活躍するアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。
第6回は、ラグビー元日本代表の大畑大介さん。高校時代から活躍し、神戸製鋼コベルコスティーラーズでは、2000年にチームの5年ぶりの社会人選手権、日本選手権優勝に貢献。1999年、2003年にワールドカップに出場するなど日本ラグビー界を牽引してきました。
2011年に引退後は、神戸製鋼コベルコスティーラーズ アンバサダーや東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員、ラグビーW杯2019 アンバサダーを務め、メディアなどでラグビーの振興・普及活動を行っています。そんな大畑さんですが、「ラグビーと出会ったのは消去法」「プレーが楽しいから続けているわけではない」と言います。どういう意味なのでしょうか。
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小学生のころ、1時間かけてラグビースクールに通っていました
――小さいころの習い事を教えてください。
ピアノですね……ウソです(笑)。水泳とラグビーしかしていません。ラグビーは小学3年生から。水泳は小学2~6年生まで。授業で泳げなくて悔しかったので習い始めてそこそこ泳げるようになったんですけど、本格的な競泳コースのあるスイミングスクールじゃなかったですし、ラグビーを始めてからは「俺には水泳の才能はないな、これ以上水泳を続けて意味があるのかな」と思うようになって、途中からめっちゃやめたかったです。でも「やると決めたことは中途半端にやめるな」と親に言われて、小学校卒業するまで続けました。
1週間のスケジュールは、水泳週1回、ラグビーも週1回。ラグビーは日曜日に2時間の練習でした。それ以外に自主練? しません。小学生ですからそんなに一生懸命やってない。他に週2回ほど学習塾にも通ってました。親に「勉強しろ」「塾に行け」と言われたわけではなく、自分から「行きたい」と言いました。自分でできないことがあるのが嫌なんです。
――お父さんもラグビーをしていたそうですね。それが始めるきっかけになったとか。
親父がやってたといっても高校のときだけで、僕のレベルからしたら大したことない(笑)。ただ、一般家庭でお父さんと一緒にプロ野球を見るような感覚で、ラグビーを見る機会が多かった。当時、クラスの子はみんな阪神ファン。あまのじゃくな子だったのでそれが嫌で嫌で(笑)。野球をしたくなかったのでラグビーを始めたんですよ。
人と接することが下手だったというのも理由のひとつ。自分から仲間に入っていけないから周りから来てもらいたい。そのためにはこちらを向いてもらえるような人間にならなければ、と考えて、スポーツに自信があったのでスポーツをしよう。野球は嫌だからサッカーかラグビー。サッカーよりも身近にあったラグビー……という消去法です。大阪全域から集まってくる歴史のある「大阪ラグビースクール」に1時間かけて通っていました。
――「人と接するのが下手」というのは意外です。
冷めた子というか、斜に構えた子ですね。スポーツはどの競技もよくできて、大多数の子がしているから野球は嫌いでしたけど、実は野球を習っているやつらより上手かった。だからこそ「なんでわざわざ習いに行かなあかんねん」って。今思えばやっておけばよかったですよね……という話をあるプロ野球選手にしたら、「調子乗んな、そんな簡単なものじゃない」と言われましたけど(笑)。
――ラグビースクールに入ったときも、チームの輪になかなか入れなかったのではないでしょうか?