インタビュー
2018年1月30日

人と人の出会いや絆を大切にしたイベントを作っていきたい。小杉陽太氏(後編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #6】 (1/3)

 2017年、9年間在籍した横浜DeNAベイスターズを辞め、惜しまれつつもプロ野球選手としての人生に幕を降ろした小杉陽太氏。しかし休む間もなく、次のステージをスタートさせました。今度はイベント会社の代表取締役として、どのようにビジネス界で闘いを挑んでいくのでしょうか。

▼前編はこちら

戦力外通告を受けて引退、そして起業家へ。小杉陽太氏(前編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #6】 | ビジネス×スポーツ『MELOS』

DeNAの球団としてのエンターテイメント性に感動

― 引退は、2017年の戦力外通告がきっかけだったのですか?

 その時点でもう、僕自身はやりきった感はありました。自分でも状況は分かってましたし。

― その年の10月に現役引退を表明しますが、11月にはイベント企画会社のl’unique(リュニック)を立ち上げます。昔からマーケティングやPRに興味があったのですか?

 いや、実は2012年に、球団がDeNAになってからです。DeNAになってから毎年、キャンプの最初のミーティングで、南場智子さん(横浜DeNAベイスターズ・オーナー)や池田純社長(初代代表取締役社長)、いろいろな営業の人が、売上やら観客動員数やらマーケティングの話を1時間半ぐらいするんですよ。他の選手にしてみれば「なんで数字の話をしているんだ」って感じだろうし、僕もそれまで博報堂をお菓子の会社だと思っていたくらいで(笑)。

 でも、僕はそのすべてが新鮮で、すっごいおもしろかった。そこから南場さんのプロフィールを調べたり、「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)を見たり、ビジネス書を読むようになったんですね。

― どういうところがおもしろかったのですか?

 当時のベイスターズは5位とか6位なのに、観客動員数が上がっているという数字を見せられて、どういう仕掛けを作ってやっているんだろう。これはすごいな、自分でもやってみたいと思ったのがきっかけですね。

 「そんなこと考えてるなら練習しろ」と思われるかもしれませんね(笑)。自分で言うのもなんですが、僕はちゃんと練習をしていたつもりです。ビジネスに興味があることは特に誰にも言ってませんでしたが、移動の途中や球場での休み時間にビジネス書は普通に読んでました。

― 球団がDeNAベイスターズになったことが背景なのですね。

 DeNAになってから、雰囲気がガラッと変わりました。古い体質から空気が一気に全部新しく入れ替わったような。たとえば、仕事に行く時はスーツを着るもんだと思っていたのですけど、みんなジーパンとかで働いている。それがまず衝撃的でした。

 あと、あのエンターテイメント的な営業はすごいなと思いました。お客さんを巻き込んで参加させるという集客スタイルは、どこのチームもやっていなかった。まず球団の人気をあげて、チームが強くなったら、ますますファンが増える。そのマーケティングがすごいと思ったし、実際に目の前で見ていたのは大きな経験です。

会社設立の準備は数年前から始めていた

― 会社を作ることに対して、周囲の反応はいかがでしたか?

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