インタビュー
2018年1月30日

人と人の出会いや絆を大切にしたイベントを作っていきたい。小杉陽太氏(後編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #6】 (3/3)

 下園さんは選手会長を3年もやられていたのですが、特に引退記念の場がなかった。ファンの人も声を聞きたいと思ったので、みんなにその空間を提供したいと思ったんです。そうしたら、募集人数が先着100人のところにとんでもない数が来て、ちょっと慌てました。しかも、参加費は当日払いだったのに、100人全員来たんです。

― 今はドタキャンが多いので、前払いが当然ですよね。

 それはもう下園さんの人柄でしょう。来てくださった方全員が喜んでくれて、うれしくて泣いてらっしゃる方とかを見ると、こういう場を作って良かったなと思いました。今後の課題もけっこうありましたが。

ピッチャーとしての経験はビジネスにも活きている

― マウンドで闘うピッチャーとしての経験が、今のビジネスに活かされていると感じますか?

多々あると思います。ターニングポイントでの判断とか、行くか引くかの判断とか、勝負勘じゃないですけど、けっこうビジネスに通じていると思います。「これできますか?」と聞かれて、「はい!できます!」と持って帰って来て、「さあどうしよう?」みたいな(笑)。僕もよく「マウンド上ではハッタリが大事」と言われました。「ピンチでヤバい!」と思っても、表に出さないで投げる。逆に考えすぎて、何もできなくなっちゃうのもダメじゃないですか。

― これからの計画があれば教えてください。

ありますけど、まだ言えないので(苦笑)。将来的には、横浜スタジアムでイベントしたいですね。開幕のセレモニーとか、イニング間のイベントでもいいですし。今季の開幕セレモニーのコンペが開催された際、いろんなイベント会社さんとかに「一緒にどうですか?」と声をかけていただいたのですが、まだ経験値もなかったのでお断りしました。そんなに甘くはないですしね。もっといろんな経験をして、視野を広げて、感性も磨いて、それから自社が主となってやりたいと思ってます。球団の人は「小杉は絶対応募してくる」とみんなで話していたらしいですが(笑)。

― 今振り返ると、ベイスターズでのプロ野球人生はいかがでしたか?

 よく9年間もできたなと。「何年先までできるか?」ではなく、毎年毎年、「今年でダメだったら終わりだな」という感じでやってきました。ケガで手術もしましたし、しんどいことの方が多かったかな。

 プロのアスリートが引退する時、どこで自分の終わりをつけるか、すごく難しいと思うんですよ。人によって価値観は違うので、そこにしがみつく人もいれば、しがみつかない人もいる。その中で僕はけっこうスムーズでした。なんて言うか、依存しなかったというか、野球以外に興味を持てたということもあったので。

 でも、すごく楽しかったですよ。プロ野球はトップの世界ですし、そこで9年間過ごせたのは幸せな時間。僕は今でもDeNAファンです(笑)。

▼前編はこちら

戦力外通告を受けて引退、そして起業家へ。小杉陽太氏(前編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #6】 | ビジネス×スポーツ『MELOS』

[プロフィール]
小杉陽太(こすぎ・ようた)
1985年12月8日生まれ、東京都江東区出身。小学校6年生で少年野球の東陽フェニックスに入団。中学時代は江東ライオンズに所属。二松學舍大学附属高等学校から亜細亜大学に進学するも、3年生で退学。2007年、JR東日本に入社し、都市対抗野球大会などで活躍。2008年、ドラフト会議で横浜ベイスターズに5巡目に指名される。一軍昇格、二軍降格を繰り返すも、2016年には開幕一軍入りを果たす。2017年、戦力外通告を受け、10月に現役引退を表明。同年11月、株式会社l’unique(リュニック)を設立。現在、日本かしこめし協会理事、江東ライオンズのピッチングアドバイザーにも就任している。
【ホームページ】l’unique(リュニック) http://lunique.co.jp

<Text:渡辺幸雄+アート・サプライ/Photo:小島マサヒロ>

1 2 3