インタビュー
2017年12月5日

ラグビーをしている時だけは自分を素直に表現することができた。元ラグビー日本代表・大畑大介(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #6 (2/3)

人気のあるスクールで、小学生から中学生まで各学年20〜30人もいる。2、3歩離れたところから「どうやったら輪に入れるかな」と様子を見ていたところ、練習でダッシュ競争があって僕が一番速かった。それでみんなのほうから僕を受け入れてくれたんです。

自分の持っているものをグランドで表現するだけで、みんなが話しかけてくれるんだとわかり、「コミュニケーションツールが手に入った」という感覚でした。ラグビーをしているときは、素直に自分を表現できて、なりたい自分になれる。自分の居場所がみつかったんです。

足の痛みでプレーできず、なにも実績を残せなかった中学時代

――スクールに入ってすぐに上達しましたか。

すぐにレギュラーになれて「簡単やな。俺、天才ちゃうか」と思いました。でも、小学6年生あたりから成長期に伴う足の痛みから全然できなくなったんです。地元の公立中学に上がってからは、週1のラグビースクールと並行して部活でも毎日練習していましたが、めぼしい実績なし。地区の代表にも選ばれなかった。小学生のときは能力があったのに、足が痛くてプレーできなくなって、体格も周りに追いつかれ追い抜かれた。中学校はいちばんしんどかった時期です。

――そこでやめようとは思わなかったんですね。

プレーが楽しくてラグビーをしていたなら、やめていたでしょうね。僕にとってラグビーのプレーは別に楽しいものではないんですよ。ラグビーは自分を表現する武器であり、自分と周りとをつなぐツールであり、ラグビーをしている大畑大介が自分のなりたい自分なんです。やめるとそれがなくなることが怖い。どれだけ小さくなっても持ち続けることが大事だった。この感覚はなかなか理解されがたいと思いますが。

――しんどい時期をどう乗り切ったんですか。

ふっと「為せば成る」という言葉が入ってきた。「なにかええ言葉ないかな」と探していたわけではないんですよ。ふつうに生活しているなかで引っかかった言葉で、「これが柱になるんちゃうかな」と思った。そこでラグビーに対して「為せば成る」ということができてるか自分に問いかけてみたら、「足が痛い」とか、がんばらなくていい理由ばかり探していることに気づいたんです。

ラグビー強豪校ではなく、あえて“これから”の高校へ

――高校は東海大学付属仰星高校に進学されました。

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