インタビュー
2018年2月5日

スポーツが得意すぎてどれもすぐ飽きてしまう。中学校に行く意味を見出せなかった。アメリカンフットボール栗原嵩(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #9 (2/3)

中2のときは何もしてないです。基本的に学校へは気が向いたときしか行かなくなってしまったので。勉強はもちろん体育の成績も悪かったですね。いわゆる“ヤンキー”とはちょっと違って、茶髪でファッションに興味がありそうな感じの方向です。電車で15分くらいの上野・アメ横でよく遊んでいました。先生から「毎日学校来いよ」とは言われましたが、なかなか……。

バスケ部員よりバスケが上手かったんで、ごくたまにバスケ部に顔出して練習に入ったことはありました。また、中3のころは陸上の高跳びの大会に借り出されたこともありました。陸上部員に背面跳びができる選手がいなかったので、『栗原やってみろ』と言われて初めてやったら、できちゃったんです。

将来の夢だった「スポーツ選手」を一度あきらめた

――せっかくの才能がもったいないですね。将来、スポーツ選手になろうといったことは考えなかったのでしょうか。

小学校のときから、夢は「プロのスポーツ選手になる」でした。でも、「◯◯の選手」と、競技を絞っていない、ざっくりした夢。結局、野球もバレーも辞めて、バスケも好きだったけれど部活には入るほどではなかった。だから、現実的には、中学を卒業したら父親が経営する建設系の会社に入ろうと思っていたんです。そこで働く左官職人さんたちは若くして一人前になっていましたから、僕も高校に行く必要がないな、それなら中学に行く必要もないな、と。学校はつまらない。僕一人浮いた存在でした。

――まわりの生徒が幼く見えたのでしょうか。

そういう感じです。姉と兄の影響で小6くらいから洋楽、特にヒップホップを聴くようになって、エミネムのファンだったんです。でも、学校でエミネムなんて誰も聴いてないから話が合わない。今思えば自分も十分子どもで「こいつらダセえな」とかなり粋がっていました(笑)。周りからは孤独に見えたと思います。

音楽がきっかけでアメリカのカルチャー全般が好きになって、学校に行かずにグラミー賞の中継を見たり、NBAを見たりしているうちに、将来はアメリカで暮らしたいと思うようになりました。

何をしても長続きしない中学時代、偶然深夜に見たアメフトの番組に一瞬で心を奪われた

――アメフトとはいつ出会ったのでしょうか。

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