インタビュー
2018年4月23日

ピアノを習い、部活ではトランペット。夢は音楽の先生のはずが、19歳でスポーツの道へ。元パラアイスホッケー日本代表・上原大祐(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #11 (2/3)

強く「辞めたい」と思ったことはなかったけど、やりたいようなやりたくないような、練習したくないけれど、もうすぐ発表会だから仕方ないし……といった、子どもによくありがちな感覚でした。ただ、性格として、ひとりで何かをするのはあまり好きじゃないんです。だから吹奏楽は楽しいけれど、ピアノは向いてない。スポーツも個人競技は向いていないので、手を出していません。

――子どものころの将来の夢は、音楽関係ですか。

そうですね。高校のころまで「音楽の先生になりたい」と思っていました。中学の吹奏楽部コンクールで、まあまあのところまで行ったんですが全国大会までは行けなかったんです。だから、将来指揮をする側で、生徒たちを全国大会に連れて行きたいと思いました。

高校進学のタイミングで、近くに音楽科が新設されたので見学に行って。友人と2人で吹奏楽部の練習の前に顧問の先生にピアノを弾いてもらって楽譜に起こす練習をしていたのですが、途中で「今、音楽の道を選ばなくても、高校は普通科に行ってその後、音大を選んでもいいんじゃないか」と考え直しまして。一緒に楽譜を起こす練習していた友人は、今、高校の音楽の先生をしています。

――将来、気持ちが変わるかもしれないと思ったんですね。

そうなんです。実際、高校のとき、1998年に地元の長野でオリンピック・パラリンピックが開催されて、長野市に新しく長野駅ができまして、行ってみたら「車いす利用者に不便なところが多い」と思った。それがきっかけで、夢は建築家に変わりました。それで信州大学建築科に進学したんです。

車いすをバンバン壊しまくっていたら……

――アイスホッケーには、大学時代、19歳のときに出会ったそうですね。

実は、高校のときから誘われていました。誘ってくれたのは、3歳から車いすの面倒を見てくれた車いす会社の社長です。中学のころ、みんな自転車通学だったので、私は友だちがこぐ自転車につかまって帰っていたんですが、当然、すごいスピードが出ますよね。段差にぶつかると前輪がもげる。そうやってバンバン壊していたので、「そのやんちゃっぷりがホッケーに向いているよ」と。

私も国体で高校のアイスホッケー部が活躍するのを見て、やってみたいとは思っていました。ただ、練習場まで片道2時間かかる上、練習時間は早朝5時から。となると、深夜2時すぎに家を出なければならない。親に送り迎えしてもらうのはあまりに負担が大きいので、自分で運転免許を取ってから始めようと思いました。

18歳で免許を取って、大学1年のときに車も買い、大学生活に慣れた2年生から、よし、始めよう、と。初めて氷に乗ったとき「これはしっくりくるな」と確信し、それまで入っていたオーケストラ部は退部しました。

――長く続けていた音楽に未練はなかったんですか?

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