インタビュー
2018年4月26日

1つに絞らなくても、いろいろなスポーツや経験を重ねることで“強み探し”ができる。元パラアイスホッケー日本代表・上原大祐(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #11 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 小さなころから車いす生活を送っている上原さんは、大学2年のときにパラアイスホッケーの道へ。意外にも子どもの遊びや音楽の経験が競技生活に役立ったそうです。

▶前編: ピアノを習い、部活ではトランペット。夢は音楽の先生のはずが、19歳でスポーツの道へ。元パラアイスホッケー日本代表・上原大祐(前編)【子どもの頃こんな習い事してました #11】

森や川に這って入り、身体能力が鍛えられた

――アイスホッケーと出会ったのは19歳と遅いほうですが、運動神経は小さいころからよかったんですか?

どちらかというと、遊びから身体能力が身につきました。小さいころはターザンのような生活でしたから。家の横に森や川があって、車いすを放り出して、這って川に入って魚や沢ガニを取ったり、森にも這って行ってカエルやカブトムシを捕ったり。腕だけで這うので体幹が鍛えられました。あまり腹筋や背筋がつかない障がいなんですが、私はけっこうついてる。それに、小さいころから車いすに乗っていた人は手首が固いと言われるんですが、私は這っていたから手首も柔らかい。

体の動かし方は、家でじっとゲームをしているだけじゃ身につかない。子どもはみんな虫取り、魚取りをしたほうがいい。ひとつの体勢ではなく、いろいろな遊びやスポーツにチャレンジして、体の使い方を小さいうちから身につけたほうがいいですね。

――親御さんは危ないからやめなさいといったことは言いませんでしたか?

言わなかったですね。「みんな自転車に乗っているから僕も乗りたい」と言ったときも、母は「自転車は足で漕ぐものだから無理」と言わず、インターネットのない時代にあちこち電話をかけて群馬県に手で漕げる自転車を作っているところをみつけて買ってくれました。川遊び、森遊びもいつも泥だらけだしズボンがびりびり、ボロボロになるんですが、それでも「いいよ」と許してくれた母が立派ですよね。って上から目線ですが(笑)。

――その経験がなかったら、アイスホッケーにすんなりとは入れなかったかもしれないですね。

そう思いますね。障がいのある子どもを持つ親御さんは、「それはうちの子にはできないから」「危ないから」と、勝手に子どもの制限することが多い。でも、そこを100%の「いってらっしゃい」を親御さんが言ってあげることで、子どもは120%、130%育つ。どんどん「いってらっしゃい」を言ってあげるべきだと思う。

2017年3月、私ともうひとりのNPOスタッフで、車いすの小学生2人を親御さんの付き添いなしで海外旅行に連れていきました。行き先はカナダのバンクーバー。「だいちゃんがメダルを獲った場所を見てみたい」と子どもたちが決めました。初めての海外旅行で、飛行機に乗るのも、英語で食事の注文をするのも、一人で身の回りのことをするのも初めて。それでも3日目くらいから慣れて、「できた」がたくさん増えていきました。「できた」の積み重ねが自信になる。その自信が何かに挑戦したいという気持ちになります。

――障がいのある子どものアクティビティについては、「万が一何かがあったら責任が取れない」と避ける団体や施設もありそうです。

「責任を取るのが嫌だから預かれない」というのは、NPOの代表として仕事放棄になりますよね。私自身は何も心配しませんでした。結果的に子どもたちは成長したし、「また行きたい」と言っています。それでいいと思います。

いろいろとやってみると“強み探し”ができる

――親御さんから勉強しなさいと言われたことはありますか?

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