インタビュー
2018年4月23日

ピアノを習い、部活ではトランペット。夢は音楽の先生のはずが、19歳でスポーツの道へ。元パラアイスホッケー日本代表・上原大祐(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #11 (3/3)

未練はありません。新しく興味のあることができて「ガッツリ取り組みたい」と思ったら、割とあっさり切り替えられるんですよ。大学もそう。3年のときに信州大学から長野大学に編入しています。それは、ホッケーを通して初めて障がいを持った人たちと関わるようになって、ホッケーのトレーナーで理学療法士の先生から、「うちの病院に、事故に遭って障がいを負って、『もう外に出たくない』と言うやつがいるから、お前の元気な姿を見せてやってくれないか」と言われまして。そのときに初めて「障がいが原因で引きこもる人がいるんだ」と知ったんです。

建築を学んで車いすでも利用しやすい建物を作りたいと思っていたけれど、そもそも外に出ない人がいるなら、障がい者を外に出す仕事がしたい。そう思って心理学のコースがある長野大学社会福祉学部に編入しました。たぶんやりたいことが多いんでしょうね。あれもこれもやりたいけれど、全部はできないからシフトしていく。ホッケーも2013年にいったん辞めて、NPOを立ち上げていますし。

――振り返ってみて「習っておけばよかった」と思うことはありますか。

「習っておけば」というか、今ちょこちょこ練習しているのが水泳。小さいときから水泳はダメ、唯一できないスポーツです。水が超怖いんです。障がいを持った子どもたちがはじめに取り組みやすい習い事は水泳といわれているんですが、私はだめでしたね。

昨年、シーカヤックマラソンに出場して、「落ちたらどうしよう」とビビっていたら転覆してしまって。死ぬかと思いましたが、今生きているのでなんとかなるということがわかりました。今年の夏も出ます。

――将来、もしお子さんが生まれたら習わせたいことはありますか。

その子が習いたいと思ったことを習わせたい。親が強制的にさせたら習い事じゃない。自分が習いたいと思うことだからこそ集中力が高まるし、楽しいと思って続くのだと思います。

アイスホッケーでもいいですよ。きっと、子どものプレーにああだこうだ言いたくなると思いますが、そこで黙っていられたらいい親子関係、師匠関係が築けると思います。……でも、私はおしゃべりなんで黙っていられないでしょうね(笑)。

▶後編: 1つに絞らなくても、いろいろなスポーツや経験を重ねることで“強み探し”ができる。元パラアイスホッケー日本代表・上原大祐(後編)【子どもの頃こんな習い事してました #11】

[プロフィール]
上原大祐(うえはら・だいすけ)
1981年生まれ。長野県出身。長野大学社会福祉学部卒業。二分脊椎による下肢障がいのため幼少期から車いす生活を送る。19歳でパラアイスホッケーを始める。2006年グラクソ・スミスクライン入社。2006年トリノパラリンピックに出場。2010年バンクーバーパラリンピックではエースFWとしてチームを銀メダル獲得に導く。2012年アメリカのナショナルホッケーリーグチームPhiladelphia Flyers Sled Hockey Teamに在籍。2013年引退。2014年、会社勤務を続けながらNPO法人「D-SHiPS32(ディーシップスミニ)」を設立し、障がい者と健常者が時間を共有する場を提供、子どもたちと交流する。その子どもたちに全力の戦いを見せると現役復帰、DFに転向し、2018年平昌大会出場。2016年より日本電気勤務。

<取材・撮影協力>
HangOut HangOver 渋谷店
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<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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