インタビュー
2018年8月9日

バイオリンを小1から習い、放課後はサッカー。ラグビーよりサッカーの時間のほうが長かった。ラグビー元日本代表・廣瀬俊朗(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #16 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第16回は、ラグビー元日本代表キャプテンで、現在は東芝ブレイブルーパスでバックスコーチを務めている廣瀬俊朗さん。5歳からラグビースクールに通い始め、小学1年生から中学2年生まではバイオリンを習っていたそうです。中学2年生からは大阪の名門校・北野高校に入るべく塾に通い、受験勉強にも励んでいた廣瀬さん。どのような子ども時代を過ごしていたのか聞きました。

「これ、女の子が持つもんちゃうか」と走って通っていました

――子どものころの習い事を教えてください。

バイオリンを習っていました。正確には覚えていないんですけど、小学1年生くらいから中学2年生くらいまでだと思います。でも、めっちゃ下手です。1週間に1回、近所の先生のところに行くんですけど、そのときはちゃんとやっていたけど、家での練習はあまりしなかったから進みが遅い。今、実家に帰ったら遊びでちょっとやってみることもありますけど、曲を弾けるというレベルじゃない。まず正しい音を出すことが難しいんです。

父親は体育の先生、母親がピアノの先生をしていて家にピアノがあったんですけど、ピアノは習うまではいかなかったですね。母親が違う楽器を習わせたいと、僕はバイオリン、弟はドラムを習っていたんですよ。母親はピアノ以外の楽器を習ってさえいれば、それでよかったんじゃないかな。あんまり「練習しろ」とは言いませんでした。

――あまり練習しなかったとのことですが、どんな思いで通っていたんですか。

ゆるりとやっていました。まず、あのケースを持ち歩くのが、嫌やったんですよ。「これ、女の子が持つもんちゃうか」と思って、誰にも見られないように走って行って。乗り気じゃなかったけど、なぜか続けていましたね。なんでやってたんやろな。母親が「行きなさい」と言ってたのかな。あんまり覚えてないですけど。特に「行きたくない」と駄々をこねた記憶はないですし、「まあ、いっか」とやってたかもしれないですね。それほど強いストレスにならなかったらいいかな、と。

――他に習い事は?

夏休み限定でスイミングスクールに通っていました。何年生のころか覚えてないですけど、キツかったことは覚えています。今も最低限は泳げます。北野高校がめっちゃキツいんです。50メートルプールで相当泳がされる。それである程度泳げるようになったというのもあります。

――ラグビーは何歳から始めたのですか。

ラグビーは5歳から、両親に勧められて吹田ラグビースクールに入りました。大阪はラグビーが盛んな地域。でも、最初は好きじゃなかった。なぜかというとラグビースクールは4月から始まるんですが、僕が入ったのは10月だったので、すでにコミュニティができあがっていて、そこに入るのが嫌やったんです。だんだん友だちができてきて、ちょっとずつ楽しくなりましたね。そのラグビースクールは「エンジョイ・ラグビー」をモットーにしていて、試合の勝敗よりみんなで集まって楽しくやろうというカルチャーだったのもよかったですね。

――すぐに頭角を現したのでしょうか。

小学2年生くらいまではほんまに楽しんでいただけ。僕の感覚的には自分が上手いという記憶はないんですけど、このあいだ友だちに聞いたら「小学3、4年生くらいには上手やったよ」と。僕はまったくそんなことは思ってないです。みんなのことをほめるスクールなので、特別僕だけほめられたという記憶もないですし。ちょっとずつうまくなっていたんかなという気がしてます。

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