インタビュー
2019年9月19日

そろばん、テコンドー、習字。毎日いやいや習い事、サッカーだけ楽しく通っていました。元プロ野球選手・森本稀哲(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #25 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第25回は、元プロ野球選手の森本稀哲さん。そろばん、韓国語、テコンドー、習字、水泳、手話とたくさんの習い事をし、サッカーが大好きだったという森本さん。なぜ野球の道に進んだのか、たくさんの習い事は野球に役立ったのか伺いました。

遊ぶ時間もないほど習い事、テコンドーは全国大会優勝

――子どものころ、習い事をたくさんされていたそうですね。

とても忙しかったです。人生でいちばん忙しかった時期は小学生じゃないかなというくらい。月・水・金はそろばん。火・木はテコンドー。月曜は韓国語教室もあったし、火曜か水曜に習字にも行っていました。土曜は水泳。日曜は小学4年生まではサッカー、4年の途中から野球を始めました。僕にとって“本職”は日曜日という意識でしたね。

最初に習い始めたのは、テコンドー。テコンドーは小学校に入る前から始めて、中学1年生まで続けました。日曜にサッカーと野球をやっていたのでテコンドーは試合には出なかったんですけど、中学1年生のときに1回だけ出たら全国大会で優勝しちゃって。そろばん、水泳、習字は6年生くらいまでだったと思います。中学生になったら水・土・日に野球が入ったので辞めたんです。

――手話も習っていたと聞きました。

手話、習ってましたね。月曜日かな。同級生の女の子の母親が手話の先生をしていて、僕と姉、妹の3人で習いに行ってました。それがすごくいやで。同級生の女の子の家に行くのが恥ずかしかったんです。しかも、ただでさえスケジュールがカツカツだったんで、「手話だけはいやだ」と母に言って早々に辞めさせてもらった覚えがあります。

――手話以外は自分から「習いたい」と言って始めたんですか?

いえ、うちの母がなんでも習わせたいタイプで、気がついたら忙しくなっていたという感じです。「やりたくない」という選択肢はありませんでした。母は厳しかったですし、行かなければいけないものという認識だったので、いやいや行っていました。自分からやりたくてやっていたのはサッカーくらいです。それも最初は親父が入れたので、自分の意志で始めたわけではありません。当時はサッカー人口が今より少なく、近くにチームがなかったので、地元から自転車で20分くらいかかるところのチームに入っていました。

――お姉さん、妹さんもたくさん習い事をしていたのですか。

みんなほぼ同じ習い事をしていました。習字、そろばん、水泳、韓国語、テコンドー。サッカー、野球は僕だけ。姉妹は、日曜日はなにしてたんだろう。ふつうに遊んでたのかな。

――森本さん自身は遊ぶ時間はありましたか。

習い事に行くぎりぎりまで遊んでいました。門限が5時くらいで、それを過ぎると怒られる。だから遊べる時間は短かったですね。

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