インタビュー
2018年8月9日

バイオリンを小1から習い、放課後はサッカー。ラグビーよりサッカーの時間のほうが長かった。ラグビー元日本代表・廣瀬俊朗(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #16 (3/3)

「今知っている世界だけではない」という思いがあった

――高校進学にあたってラグビー推薦という方法もあったのでは?

お声がけもいただきましたけど、そこは母親ともいろいろ話しました。子どもって、誰かに求められるとその期待に応えたいと思ってしまいますよね。しかも好きなラグビーの強い高校から声をかけられたら、ワッと舞い上がってしまう。でも、母親は「それだけじゃないんじゃない?」というところがあったんかなと思います。

小さいころからオーケストラなどに連れていってもらったから、「世界は自分が慣れ親しんでいる世界だけじゃない。他の世界もあるんやな」ということを知っていたというのもあります。だから、ラグビーだけではない生活も受け入れられた。それがいいか悪いかはわからないですけど、僕としては選択は間違っていなかったと思います。

――そういうとき相談するのはお母さんですか。お父さんは?

母親が多いですね。相談はしましたけど、最後は自分で決めました。父親はほとんどしゃべらない人で、「言うときは言う」という感じでしたけど、実際にはあまり言われたことない。やさしいんだと思います。親にも先生にもラグビーの監督、コーチにもあまり怒られたことはないですね。練習もきっちりやっていましたし。

――勉強も効率よくでき、スポーツも効率よく練習できる。それなら個人競技をやりたいと考えたことは?

なかったですね。ラグビーをやめたいと思ったこともない。ラグビーも個人のスキルが必要なところがたくさんある。よく試合のビデオを「どういうふうに戦っていくといいのかな」と分析しながら見ていました。

後編: クラッシックコンサートに行き、知らない世界を知ったこともキャプテンとしての糧になっている。ラグビー元日本代表・廣瀬俊朗(後編)

[プロフィール]
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
1981年生まれ。大阪府出身。5歳から吹田ラグビースクールでラグビーを始め、府立北野高校在籍時に高校日本代表でキャプテンを務める。慶應義塾大学理工学部在学時もラグビー部キャプテンを務め、東芝ブレイブルーパスでもキャプテンとしてチームを日本一に導く。2007年、2012年と日本代表に選出される。2012年には、エディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチのもとキャプテンを務めた。2016年引退。日本ラグビーフットボール選手会を設立し初代会長を務める。2017年、東芝ブレイブルーパスバックスコーチ就任。日本代表キャップ28。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:玉井幹郎>

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