インタビュー
2019年4月15日

習い事は自分から「やりたい」と言ったものばかり。母は私の意見をいつも尊重してくれました。新体操・畠山愛理(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #21 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第21回は、元新体操日本代表の畠山愛理さん。小学校から新体操のほかにバスケットボール、合唱、ピアノ、和太鼓などたくさんの習い事をしていたという畠山さん。特に音楽の習い事は新体操にも役立ったといいます。そして何より習い事で感謝しているのは、いくつか体験した上で自分に選ばせてくれたことだそうです。「だからこそ新体操にも出会えた」と振り返ります。

合唱も新体操も、たくさんの人に見てもらうことが好き

――子どものころどんな習い事をしていましたか。

最初に習ったのはリトミックです。幼稚園のときですね。その後、小学1年生から習い事を増やしていって、新体操、バスケットボール、合唱、ピアノ、和太鼓……。バスケは小さなクラブチームで、大きな大会への出場はなく、近くのクラブチームと戦うくらい。お兄ちゃんと一緒に始めて小学3年生くらいまでやっていました。

新体操のためにクラシックバレエも少し習っていました。 好きだったのは音楽を使った習い事。リトミックも好きでしたし、合唱は毎年クリスマスに発表会があって、お父さん、お母さんが見に来てくれることが楽しみでした。たくさんの人に自分の演技を見てもらうことが好きなんです。

新体操も、全日本新体操チャイルド選手権に2年生から6年生まで出場させていただいて、予選は体育館内にいくつかマットがあって同時進行なんですが、決勝は広い東京体育館にマットひとつ、360度観客に囲まれて踊れる。だからいつも「上位に行きたい」というよりも、「ひとりで踊ってみんなに私の演技を見てもらいたい」という思いでがんばっている感じでした。

一番長く続けたのはピアノで小学5、6年生くらいまで。そのころから新体操の練習が毎日になったので習い事はすべて辞めましたが、小さいころから音楽に触れていたことは、その後、新体操にも役立ちました。

――いろいろな習い事をしていましたが、自分から「習いたい」と言ったのですか?

そうです。自分から習いたいと言ったものばかり。お母さんに感謝しているのは「友だちがやってるから習わせよう」というのではなく、いくつか体験に連れて行ってくれて自分で選ばせてくれたこと。小さい子は経験したことないことばかり。急に始めても自分に合っているかはわかりませんよね。自分で興味のあるものをみつけさせる環境をお母さんがつくってくれたおかげで、新体操にも小さいころに出会えました。

――運命の出会いですね。なかなかそうした出会いは難しいと思います。

そうですね。兄がふたりいるのですが、それぞれ「友だちがやっているから」という理由で野球とサッカーをしていましたが、私のように熱中することはありませんでした。下のお兄ちゃんは高校生になってからバレーボールと出会い、大好きになったそうです。そのお兄ちゃんから「愛理はいいよな、熱中できるものに小さいころから出会えて」と言われました。兄妹のなかでもそういう違いはありましたね。

「友だちと一緒の習い事がいい」と言う子どもは多いと思いますし、そもそも友だちからの情報以外にどういうスポーツや習い事があるのか子どもが調べて、体験できる場を探して行くことは難しい。親が可能性を広げるために体験イベントなどに連れて行ったり、学校がふだん体育では行わないスポーツに触れさせてみたりできるといいですね。

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