ピアノや絵画、どの習い事も続かず、スポーツもイマイチ、体育で5を取ったことはありません。川崎フロンターレ・中村憲剛(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #22 (2/4)
体格が小さく、足も速くない、だからこそ常に考えた
――他のスポーツは得意でしたか?
サッカーしか上手くないんです。体育の成績も5を取ったことがない。特に、バスケやバレーボールなど手を使う競技はダメでしたね。今になって考えると、いろいろなスポーツにチャレンジしていればサッカーの動きに生きたかな、と思います。サッカーばかりしすぎてサッカーに特化した人間になっちゃいました(笑)。
身体能力も高くありませんでした。小学6年生で136センチと、小さくて足も速くない。だからこそ、自分のスペックでどうプレーすればサッカーが上手くなるかということは常に考えていました。
――中学校に入ると、体格の差で悩んだそうですね。
中学生になって奈落の底に落とされました。新設されたサッカーのクラブチームに入団したのですが、試合をすると相手チームには当然3年生がいる。小学校までは「小さい」といってもそこまで差はなかったけれど、中学生は成長期、140センチに満たない1年生の俺と、170センチの3年生が同じ場所でプレーしなければならない。ほとんど何もできない状態。
小学生の頃はそれなりに活躍していたから、自分にがっかりしました。最初の挫折でしたね。そのチームは1年の夏でやめ、その後半年ほどどこにも所属せず一人でボールを蹴っていました。
――その挫折をどのように乗り越えたのでしょうか。
他のスポーツに見向きもせずに、サッカーだけを続けてきた。それくらいサッカーが好きでしたし、サッカーをやめたら自分に何も残らないという思いがありました。他のスポーツをしようという発想にもなりませんでした。そもそも他のスポーツは上手くないので、サッカーにすがるしかなかった。当時の自分にはベストを尽くすこと、現状に抗うことが大事。それで中学2年のときに学校のサッカー部に入部しました。
――その後、都立久留米高校(現・東久留米総合高校)に入学。全国大会にも出場する高校です。
もう一度、サッカーをきちんとやり直したいと思い、この高校に進学しました。東京では名前が知られている学校でしたが、他にも私立の強豪校はたくさんあります。そういった私立高からは、当然ですが、声もかからなかった。