インタビュー
2019年5月2日

ピアノや絵画、どの習い事も続かず、スポーツもイマイチ、体育で5を取ったことはありません。川崎フロンターレ・中村憲剛(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #22 (4/4)

「いずれ自分から始める」そう信じて見守ってくれた両親

――中学校で活躍できなかったとき、「もうサッカーはあきらめたほうがいいのではないか」という話は?

それもなかったですね。どこにも所属していなかった時期も、両親はずっと待っていました。「いずれ自分から始めるだろう」と思っていたようです。その胆力、自分の親ながらすごいなと思いました。俺だったら、自分の息子が同じ状況なら別の選択肢を探してあげたくなると思う。自分が親になって思うんですが、“見守る”ってたいへんですね。特に今は情報がたくさんあって、いろいろな選択肢、場所もたくさんあるので我慢できないと思う。両親に感謝しています。

――「このまま何に対してもやる気が出ないままだったらどうしよう」と心配になる状況ですよね。

短期的な目線で見るか、中長期的な目線で見るか、ですね。今できる場所を提供してあげたら短期的にはいいかもしれないけど、長期的にはマイナスになるかもしれない。どうなるかわかりません。賭けに近いところもある。

――ちなみに、サッカー以外の習い事はすぐにやめていますが、「やめたい」と言ったときすぐにやめさせてくれたのですか。

「やめるな」と言わず「わかった」とやめさせてくれました。それは助かりましたね。「やめるな」と言われたらものすごいネガティブなパワーで続けることになるので。一方で「やりたい」と言ったことはやらせてくれました。

習い事を続けていく上で親の理解とサポートは必要です。親の理解がなくても伸びていく子もいるし、反対に親の過度な期待が負担になってつぶれてしまう場合もあるので、一概には言えませんが。期待しすぎないけれども関心は持つ。そのバランスが難しい。親自身、親としての経験があるわけではないので、何が正解かわからない。親も子どもと一緒に成長していかないとならないなと、今、自分の息子を見て感じます。

後編:足が遅くても体が小さくても、自分の可能性にふたをしないでここまで来ました。川崎フロンターレ・中村憲剛(後編)

[プロフィール]
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年生まれ、東京都出身。小学1年生から府ロクサッカークラブでサッカーを始め、都立久留米高校(現・東京都立東久留米総合高校)、中央大学を経て2003年に川崎フロンターレ加入。2006年、日本代表としてデビュー。国際Aマッチ68試合出場6得点。2005年から2018年まで14年連続Jリーグ優秀選手賞を受賞。Jリーグベストイレブン8回選出。2016年にJリーグ最優秀選手賞(MVP)を最年長で受賞した。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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