インタビュー
2022年2月7日

スケート、ダンス、サッカー。“何かのために”ではなく純粋に楽しむ、だから続く。スピードスケート髙木美帆(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #1 (2/3)

まったく考えられなかったですね。中学からスケートで世界ジュニア選手権に出るようになり(2009年2月の世界ジュニア選手権で総合4位を獲得。同月、ジュニアワールドカップ500m、1000mで優勝)、私はスケートでいくのかな、と。先を見通す能力がサッカーよりもスケートのほうがあったし、どうすればこのスポーツで強くなれるかという思考回路もスケートのほうが発達してたんです。だから迷わず「スケートだろうな」と。悩みはしなかったです。

――中学3年生のときに、日本スピードスケート史上最年少でバンクーバー五輪代表に選ばれました。

選ばれると思っていなかったんです。オリンピックに出ることの意味もそこまでわかってなかったかもしれないですね。「シニアの遠征ってこんな感じなんだあ」という感じ。初めてお会いする先輩選手もたくさんいたけれど、年上の中で臆することなく、かわいがってもらいながら過ごしました。小さいころから大人の話に首をつっこみたがる子どもだったんですよ。幼稚園でも小学校でも先生とよく話していたので、そういう性格に助けられたかもしれないです。

――勉強系の習いごとは?

通信教育の「進研ゼミ」を兄妹でいちばんまじめにしていました。親は「勉強しなさい」とは言わなかったな。成績は割と上位のほうにはいたんです。

――それだけスポーツに励んでいて、勉強する時間はほとんどなかったのではないかと思いますが。

小学生の頃は、夏はサッカーの練習が大会のある時期だと週5。冬はスケートの練習が4年生までは毎日、5年生に上がってチームが変わってからは月・水・土。合間に陸上の大会があったら出るというようなスケジュール。ダンスは小・中学生の頃は週1、高校に入ってからは週2。スケートの練習が終わってから行っていました。

高校が10キロ離れたところにあって自転車で通っていたんです。ダンスの教室はその中間くらいのところにありました。冬は自転車で行けないので親に送り迎えをしてもらっていたんですけど、夏は雨が降った日以外は、親はほとんど送り迎えはしなかったですね。中学の頃から。

やりたいからやってるだけ。だからハードスケジュールも苦にならない

――それだけハードなスケジュールで勉強もできたのは、スポーツで集中力が養われたおかげでしょうか。

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