インタビュー
2018年1月26日

常に誰かと競い、マンガの登場人物よりも練習する。京都ハンナリーズ岡田優介『SLAM DUNK』【私のバイブル #3(前編)】 (2/3)

たとえば、神は一日500本のシューティングを欠かしたことはないというエピソードには、丸々影響を受けています。数字の部分って子どもなので意識しますよね。『神は500なんだ』みたいな(笑)。だから、ぼくは毎日500本決めるまでシューティング。本数で言うと、500以上打っているんですよね。

― そのシュート練習はいつ頃からやられていたのでしょう?

高校時代です。もちろん中学時代もやっていましたけど、その環境がないので、毎日はなかなか。高校時代は環境が良くて、寮があったし朝練もできたので、朝に200~300本。で、普通の合同練習のあとに残りの200~300本をやるっていうのが日課になっていましたね。『神よりも打つ』っていう数字的な基準は、やっぱり影響を受けているなと思います。

― 岡田選手も流川に劣らず負けず嫌いなのですね! ちなみに本格的にバスケを始められたのは中学からだそうですが、中学時代はどういった練習をされていましたか?

中学時代はとにかく、バスケがやれる時間は無限にやり続けるって感じでした。使える体育館がないから、いつもできるわけではないじゃないですか。部活があっても時間は限られているし。だから部活が終わったら、地域で開放している体育館に行っていました。

要はクラブチームに混ざったり、大人に混ざったり。バスケをやれる場所を一日中探し回っていたんですよね。『もう帰れ』って言われるまでやっていた。その当時は、100本決める200本決めるではなくて、やれるだけやり続けるっていう(笑)。追い出されるまでやるのが日課でした。

バスケも勉強も競い合うことで成長してきた

― バスケに飢えた中学時代を過ごされていた、と。ところで岡田選手は土浦日大高等学校を卒業されましたが、高校選びの基準は何だったのですか?

バスケで日本一になりたいっていう目標があったので、全国優勝が狙える高校に行きたかったんです。当時、関東で最強だったのが土浦日大。そこで優勝を目指したいと思って。まさに『SLAM DUNK』の影響かもしれないですけど、『日本一の高校生になりなさい』っていう、安西先生の言葉がありますよね。ぼくはそうなりたかった。

日本一のプレーヤーになるためにはどうするか、チームとして日本一になるためにはどうするか。そのために、まずは強いところに行かなければ日本一になれないと思ったんです。

あとは、日本一の選手になりたいんだったら、自分がお山の大将でやっていけるようなチームに行くのではなく、すでにすごい先輩たちがいるところで、『その人たちを1年生のときから倒すんだ』ぐらいの気持ちでやる。そうしないと個人として日本一になれないと思ったので、そういう厳しい環境を求めていたっていうのもあります。

― ゴリ(赤木剛憲)や高1の頃のミッチーのように『自分がチームを強くするんだ』という目標と、流川のように『自分が日本一のプレーヤーになる』という2つの目標があったのですね。どちらを優先したということはありましたか?

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