マジカル・パンチライン浅野杏奈「6年間続けたバスケ。夢のためにやめることを決意しました」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#22 (1/3)
スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載「アイドルと、スポーツと、青春と。」。
今回インタビューしたのは、マジカル・パンチラインの浅野杏奈さん。ステージで高い歌唱力を活かしたパフォーマンスを披露する彼女ですが、それを支える肺活量と体力は、バスケットボールとラグビーの経験によるものだとか。
前編では、6年間続けたバスケットボールの思い出について語ってもらいました。
手の皮が剥けるくらい練習に励んだミニバス時代
——バスケとラグビーを両方やっていたんですか?
そうなんです。バスケは小学2年生から中学2年生まで、ラグビーは小学3年生から6年生まで続けました。
——かぶっている時期もあるんですね。
はい。バスケが水曜・土曜・日曜で、ラグビーが土曜だったので、土曜日は両方の練習に行く必要があったので大変でした。
——それはヤバい! そのあたりのことも踏まえて、それぞれのスポーツ経験について伺えればと思います。まずバスケをはじめたきっかけについて教えてください。
もともと運動が苦手だったので、家でゲームをするのが好きだったんです。でも、何かはじめたいなとも思っていて。そんなときに、友だちに誘われてミニバスのチームに入ることになりました。いまでも覚えてるんですけど、最初にもらったユニフォームの背番号が23だったんです。マイケル・ジョーダンやレブロン・ジェームズと同じ番号なので、すごくうれしかったですね。そこから、21番、15番、11番、10番、6番と、うまくなるたびに若い番号になっていきました。
——小学校でNBAの選手も知っていたんですね。
そうですね。NBAを見るのが好きだったので。ジョーダンブランドのロゴもカッコいいですし、シカゴ・ブルズのユニフォームも持ってました。
——入ったチームは強かったんですか?
渋谷区の大会では優勝の常連校でした。でも、私が入ってすぐの頃、都大会ベスト8になったあたりからだんだん弱くなって(笑)。自分たちの代で絶対に巻き返したいって思いながら練習に励んでいました。私と一緒に入った子はその後キャプテンになるんですけど、一緒に頑張ってましたね。
——ポジションはどこだったんですか?
小学校の頃は周りに比べて身長が高いほうだったので、ゴール下に近いポジションでした。自分のチームがリバウンドを取った瞬間に相手ゴールに走って、ロングパスを受けてレイアップでシュートするプレイが多かったですね。この一連の流れがキレイに決まるとすごく快感でした。