インタビュー
2019年9月22日

上白石萌歌×いだてん。「前畑がんばれ」がプレッシャーにも活力にもなったから偉業が生まれた:インタビュー後編 (3/3)

日本中から届く声が彼女の活力になっていたと思う

――ベルリン・オリンピックのレースの撮影中に感じたこと、そのときの撮影現場の雰囲気は。

日本選手団のみんなは、1日で声を枯らしてしまうほどたくさんの声を届けてくれました。泳いでいる最中でも、顔を上げたときに、それが一気に耳に入ってくる。その声援が本当に心強かったと思うし、「前畑がんばれ」っていう言葉が有名ですが、その言葉を日本から浴びるように受け取っていた彼女は、プレッシャーに感じたこともあっただろうけれど、日本から届く電報、生の声が、そのまま彼女の活力になっていたんだろうと思います。

――NHKスポーツアナウンサーの河西三省(演:トータス松本)の「前畑がんばれ」はどんな気持ちで聞きましたか。
(編集部注:1936年ベルリン・オリンピックで前畑秀子が金メダルを獲得したレースを実況した河西が連呼した「前畑がんばれ」は、伝説の放送と言われています)

役が決まったとき、前畑さんの故郷である和歌山県(伊都郡橋本町、現・橋本市)に行ってみたいと思い、1日お休みをいただきました。そこに前畑秀子資料展示館があって、当時のレコードが残っていて、その場で実況を聞かせていただいて。当時のレコードは片面3~4分が限界で、そこに収まる速さで泳いでいたと考えると、すごいことだなと思いました。当時の実感放送も聞く機会があって、再現するシーンが印象的でした。

(編集部注:ロサンゼルス大会では、放送権料をめぐるトラブルで競技の実況放送ができませんでした。このため、アナウンサーが競技の模様を疑似的に再現する「実感放送」が行われました)
《参考》「実感放送」 伝説の背景 ~日本初のオリンピック"実況"を再検証する~
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/history/20170501_8.html

――がんばれ、という言葉について受けとめは。

これまでプラスにしか受け取ったことがなかったんですが、当時の前畑さんは、がんばれとしか言われない時期がありました。セリフにもあるんですが「がんばれ、のほかに何かないの」って。もう、それしか言われないんですね。応援の言葉もマイナスに変わるほど追い詰められていました。怒りも芽生え始めている時期があり、相当、切羽詰まっていたと思います。

河西さんがロスの実感放送で「レースの興奮を10分の1も伝えられなかった」と、4年後はしっかりと実況できるように努力されますが、4年後もやっぱり「がんばれ」しか言えなくて(笑)。でも、それくらいの迫力だったんだと思います。日本中が、前畑さんの泳ぎから一瞬も目を離さず、心から応援していた。そんな気持ちが声になった。素敵なことだと思いました。

<Text:近藤謙太郎/Photo:NHK提供>

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