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2019年11月24日

松重豊インタビュー「日本人はどこか、田畑政治のような人を好きな気がするんです」(いだてん) (3/3)

僕らの世代が背負っているもの、それは戦争だ、と間違いなく思う

――「いだてん」は、どんな撮影現場でしたか。

長い待ち時間がありました。その間、テレビ放送も進んでいるので、出るまでにどっぷり視聴者になってしまう。良くないな、と思いました。ストーリーに視聴者として感情移入してしまうんです。すると、普段の役所広司さんを知っているのに、もう嘉納治五郎にしか見えなくなる。そこにいる役所広司さんに、どう言葉をかけていいか分からなくなる(笑)。あまり良くないことなんですが「ああ、嘉納さんだ」と緊張するんですね(笑)。撮影していても、テレビでは自分の出番じゃないところを放送しているので、どうもドラマに出演しているという自覚が沸かない。今日も撮影があるんですけれど。この時差を、どう考えれば良いのか。映画ならまだしも、リアルタイムで追いかけて撮影しているはずなのに、ものすごく時差を感じながらやらなきゃいけない。

今夏が撮影のピークで忙しくて、主に言い争いのシーンを撮影していたんですけど、それも後から振り返ればあっという間で、1年の撮影期間で頑張っていたのはトータルで1か月くらい。寂しいですね。役者さんによっては、月1で頑張っていた、という人もいる。とにかく、いろんな人に焦点があたっていくドラマじゃないですか。見ていると楽しいんだけど、ずっと出演している人は良いけどね。しばらく出演がない人は、モチベーションを保つのは大変だろうなと思います。役者さんによって、短距離で終わる人と、長距離を走らなければいけない人がいる。大変だろうな、と思います。

――視聴者になっている期間は、誰に感情移入していましたか。

僕は柔道部でした、ボート部ではなくて。講道館・初段を持っているので、その免状を持っている人間からすれば、嘉納治五郎って特別な人。歴史では取り上げられることも少なかった人物、これがもう役所広司以外には見えなくなってきています(笑)。教科書の嘉納治五郎を見ても「細いな線が。もっとゴツいだろう、あの人は」って思うくらいに、もう役所広司さんのイメージになっているじゃないですか(笑)。役所広司さんは俳優の先輩で、これまでいろんな映画でご一緒しましたけれど。主人公が2人いる「いだてん」の中で、役所さんは物語の背骨として、尾てい骨あたりまでしっかりと見守っていただいた、ストーリーの骨格の要になってくれた、そんな存在でしたね。

――「いだてん」は近代の物語でした。過去の大河ドラマと違いを感じた部分は。

大河ドラマというと、撮影現場の入り時間が早くて、カツラをつけて衣装を着て、今日は鎧もつけるのね、なんてことがある。肉体的にも負荷を負うし、セリフも現代とは違う。それが役作りの面に影響します。扮装するとイメージの人になる。歴史上の人物になるための「扮装ごっこ」があるわけです。それが今回は、地毛の白髪のままでよかったし、唯一、ヒゲで登場人物の気分を味わうんですが。宮藤さんの本がホームドラマの雰囲気もある。テンポがよくて、笑いもある。本をもらった段階で声を上げて笑うなんて、これまでの大河ドラマでは経験なかったことでした。そういう意味で言うと、肩の力を抜いて取り組めた大河ドラマでした。

やる側として、何が大河ドラマかを考える機会もありました。朝ドラとも違う、土曜ドラマとも違う。歴史のある背景を見せつつ魅せていく、という思いがあった。僕らの世代が背負っているもの、それは戦争だ、と間違いなく思う。第二次世界大戦を経て、東京オリンピックがあって、そこから50数年を経てまた開催する。歴史が、いま自分たちがいるところまでつながっている。そこの立脚点をしっかりして、大河ドラマにふさわしいお芝居をしたい、と心がけていました。

やっていて楽しかったです。やっぱり宮藤さんの本は、言葉のタッチ、軽さと世界観が非常に新鮮で楽しかったです。

――星野源さんと大河ドラマについて話しましたか。

最初は現場でよく会っていたのに、最近は会わなくなったので「なんで会わなくなったんだろうね」なんて話していました(笑)。「あれ、このシーンにも来ないの?」なんて。平沢さんは、オリンピック見てないのかなぁ。

(同席していた制作統括の訓覇圭さんが補足)「平沢さんがオリンピックを見たという記録が残っていないんです」

そうなんですね。最終回もね、どういう展開になるか、どういう感じで東京オリンピックを見ていたかは、フィクションも交えつつ描かれています。是非、お楽しみに。

<Text:近藤謙太郎/Photo:NHK提供>

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