インタビュー
2018年11月1日

マラソン芸人が視覚障がい者ランナーの「伴走者」になった理由(前編) (3/3)

――そこから、どのようにものまね芸人への道へつながっていくのでしょうか?

今のエンターテインメント活動に1番つながったのが、施設内のバンド活動ですね。当時「みずさわバンド」という名前のバンドを施設の利用者さんと組んでいまして、他施設への訪問演奏をずっと続けていくうちにエンターテインメントが生きがいになっていったんです。

そんな中で2011年に東日本大震災があり、「人生1回きりだな」と、今の道へ進むことを決断しました。福祉業界は圧倒的に“エンタメ感”が不足しているので、今でも施設訪問は継続していて、その度にたいへん喜んでいただいています。

▲M高史さんが着ているユニフォーム、川内選手の所属する「埼玉県庁」ではない……? みなさんは気づきましたか?

――Mさんといえば埼玉県職員の川内優輝選手のものまねで知られていますが、始めるきっかけは何だったんでしょうか?

きっかけは周りから「似ている」と言われたことです。当初は歌マネを中心に活動していたのですが、このジャンルはプロ並みに歌が上手い人やおもしろい人がたくさんいるんですよね。自分はどちらの能力でも突出したセンスがないなと悟り、誰もやっていない“走るものまね”に目をつけたんです。

――そして現在は走る能力を活かして、視覚障がいのある方の伴走もされていますね。

もともと、さまざまな障がい者スポーツのサポートを行ってきたのですが、芸人になって3年ほど経った2014年頃に、縁があって「伴走をやってみない?」と言われたことがきっかけで、視覚障がいランナーの伴走を始めるようになりました。

――最初に伴走を務めた時は、どのような感想を持ちましたか?

最初は男子の選手の伴走をしていたのですが、その方はパラリンピックを目指すような人で、とにかく速かったんです。ある日、5000mのタイムトライアルをやった時に自分が先にきつくなってしまって、「この役目は走力がないと務まらないな」と実感させられました。

選手の体調が悪いなら「仕方ない」で済みますが、伴走者が体調を崩すと、相手にも迷惑がかかります。コンディションを整えておくことと、走力を高めておくことは伴走者には必須ですね。その上で、伴走の技術を高めなくてはなりません。ですから、「心・技・体」のすべてが備わっていないといけないんです。

 後編では伴走者が備えるべく「心・技・体」の中身を明かしていただきました。

後編:夢はパラリンピアンの「伴走者」。マラソン芸人が語る盲人マラソンの世界(後編)

[プロフィール]
M高史(えむ・たかし)
1984年生まれ、東京都出身。ものまねアスリート芸人。クロスブレイス所属。駒澤大学では陸上競技部に所属し、2年時からマネージャー、3年時より主務を務める。卒業後は知的障がい者の施設で生活支援員を約5年間勤め、2011年12月よりものまね芸人へ転身。2013年より始めた公務員ランナー・川内優輝選手のものまねでブレイク。フルマラソンのベストは2時間40分34秒で、現在は東京マラソン財団スポーツレガシー事業チャリティ・アンバサダー、ジャパン駅伝ツアーPRアンバサダーなどを兼任するほか、障がい者スポーツのサポート活動(伴走、伴泳)も精力的に取り組んでいる。
【公式ブログ】https://ameblo.jp/monomane-athlete-mikami/
【公式Twitter】https://twitter.com/m_takashi_run

《関連サイト》
・日本ブラインドマラソン協会
http://jbma.or.jp/

<Text:松永貴允(H14)/Photo:金田裕平>

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