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マラソン芸人が視覚障がい者ランナーの「伴走者」になった理由(前編) (1/3)

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 マラソンは誰もが平等に楽しめるスポーツで、それは障がいを持つ者にとっても例外ではありません。視覚障がいを持つ方のマラソン(ブラインドマラソン、盲人マラソン)には「伴走者」の存在が必要不可欠。この伴走者には、どのようなスキルが必要で、視覚障がいランナーからどのような役割を求められるのでしょう。

 そこで今回、大学時代は駅伝強豪校でマネージャー(主務)を担当し、卒業後は知的障がい者施設の生活支援員を経て、「ものまねアスリート芸人」になったという異色の経歴を持つ、M高史さんにインタビュー。前編では、箱根駅伝でのエピソード、恩師からの教え、そして「伴走者」になった経緯などについて聞きました。

箱根駅伝の運営管理車は「まるで大名行列のよう」

▲ものまねアスリート芸人のM高史さん

――M高史さんは学生時代に陸上競技をされていて、駅伝強豪校の駒澤大学で主務(※1)を2年間も務めていたそうですね。

はい、もともと中高と陸上競技(長距離)に取り組んでいたのもあり、大学1年生までは選手として活動していました。ただ、当時の駒大は箱根駅伝で4連覇を達成したバリバリの強豪校。朝練と快調走(※2)だけで精一杯で、ポイント練習どころではありませんでした。

2年生になる前に大八木弘明監督から「マネージャーをやってくれないか」と打診をされ、いてもいなくても変わらないような存在よりは、少しでもチームの役に立てるマネージャーでやっていこうと決意しました。

※1:マネージャーのトップ
※2:ジョギングペースとレースで走るようなペースの中間速度で走ること

――Mさんが2年生の時に、駒澤大学は箱根駅伝で4連覇を達成。その直後に主務へ就任されたわけですが、やはりプレッシャーはありましたか?

それはもう、相当なプレッシャーでした……。しかも、上にいたマネージャーの先輩が全員卒業されてしまったんです。男子マネージャーが僕1人しかいないので、練習で成人式にも行けなかったです(笑)。

次ページ:「気付くこと、感性を大事にしなさい」という教えが今も

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