インタビュー
2017年6月14日

世界と競うこと、日々の暮らしを生きること。杉山愛に学ぶアスリートのメンタル、壁の乗越え方 <Vol.3> (2/2)

 2年前に財布がなくなったことがありました。理由もなんとなく分かっていたのですが、そこは突きとめずとりあえずは忘れることにしました。財布の中には現金やカードの他にも、大切にしていたものが入っていて本当にがっかりしましたが。でもそこでふと考えて、これを、自分の人生をもう一度見つめ直すきっかけだと受け止め、気持ちに区切りをつけました。お金って仕事に直結している部分があると思うのですが、仕事のあり方、仕事をやる意味をあらためて考えるきっかけになりました。

ーーその後どのような変化があったのでしょうか?

 働くことに対してものすごく気持ちが楽になって、仕事の選び方ががらっと変わりました。やりたいこと、自分らしさが生きること、自分にしか出来ないことだけをやろうと思えるようになりました。大切な財布をなくしたことで、やりたいことしかしないという贅沢な選択をしたわけですが、そうすることでいただく仕事も変わりました。あのときは落ち込みましたけど、今の自分にとってはありがたい出来事だったなと思っています。

ネガティブな経験にも理由と意味がある。全てはマインド

ーーダメージを受けても、自分の心の持ちようひとつで次のステップに変えられるのですね。

 そうです。たとえ嫌なことに直面しても、何か意味があることなんだという切り口でみることができれば、ステップアップのきっかけにすることができるのではないでしょうか。実は今の子が生まれる前に、流産をしました。大変辛い経験でしたが、その2年後にふたたび子どもを授かりました。その際に仕事ではレギュラーを一度すべてお休みさせていただき、すべてリセットするという決断をしました。

 しかし育児が一段落して仕事復帰をすると、現場のみなさんが待っていてくださっていたんですね。そのとき、これがもし3年前だったら難しかったことなんだろうなあと思いました。今だからこそできたことなんだ! と思える自分がいて。立ち直れないほど苦しんだ時期もありましたが、すべてのものごとには意味があると前向きに考えて、今とてもいい方向に進ませていただいていると思っています。

ーーもしかしたら不運なことがあっても、それを不幸だと捉えない心の持ちようは、アスリート時代に築いてきた強い精神性のあらわれかもしれませんね。

 それは物事の捉え方ひとつだと思います。メンタルの乗り越え方という意味では、たとえつらいことがあったとしても、それを未来(の自分)からのメッセージと受け止めることができれば、受け止め方も変わってきます。現役時代がそうだったのですが、調子の良いときは思い切りエンジョイして、悪いときはそれを引きずらない。いいイメージへと切り替えてやってきました。そこで培ったものは大きかったと思います。

「気づき」を与えてくれる積み重ね。日々のルーティーン

ーー選手時代のルーティーン(日々の習慣付け)など、マインドづくりのコツを教えてください。

 日々のルーティーンは、試合のあるなしに関わらず継続することで、マインドづくりだけでなく、自分の心身全てに向き合うことができます。呼吸法ひとつとっても、試合の直前、緊張で思い通りにできないことがあります。それを通じて「今、自分は緊張しているんだ」と気づくことができます。その「気づく」ということが重要です。気づきさえすればそれに対処ができ、実際の試合でのパフォーマンスへの影響も回避することができます。ルーティーンワークの良さの一つは毎日同じことをすることで、小さな違いに気づくことができることです。毎日コツコツとやっていくことの積み重ねは自分を裏切らないですし、精神的な安定や強さにも大きく作用してくれると思っています。

ーー世界的に活躍しているトップアスリートこそ、日々の小さな積み重ねがプレイを支えているというお話は、一般の私たちにもとても励みになりますし、日々の過ごし方の参考になりますね。

 ルーティーン、日々の積み重ねもそうですが、世界の超トップアスリートの追求し続ける気持ちの強さというものにはいつも驚かされ続けています。先日のテニスの全豪オープンで優勝したフェデラー選手は34歳になってもバックハンドが進化しています。世界のトップ選手であるにも関わらず、追求することを怠らない、パッションが落ちずに心身ともに進化し続けています。アスリートの世界では「これでいい」と思ってしまったら、あとは落ちる一方です。これはどんな仕事でも同じだと思うのですが、追求し続ける思いと、積み重ねが大切なんだと思います。

《杉山愛さんインタビュー》
・[Vol.1]トップアスリートとして、女性として目一杯に生きる。杉山愛を作ったもの
・[Vol.2]元アスリートの人生設計、礎となった「親子」の関係。杉山愛が描く新たなライフスタイル
・[Vol.4]アスリート時代から変わらぬお気に入りはアロマ。杉山愛が学んだ、スポーツを通して知る自分自身との付き合い方

 <Text:加藤孝司/Photo:鈴木慎平>

[プロフィール]
杉山 愛(すぎやま・あい)
1975年7月5日生まれ、神奈川県出身。元プロテニスプレーヤー。4歳にテニスを始め、17歳から34歳まで17年間、世界各国のプロツアーを転戦。女子ダブルスでは、全米、全仏、全英で優勝。グランドスラム(全豪、全仏、全英、全米)におけるシングルス連続出場記録62回は、女子歴代1位。WTAツアー最高世界ランクは、シングルス8位、ダブルス1位
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