松重豊インタビュー「日本人はどこか、田畑政治のような人を好きな気がするんです」(いだてん) (1/3)
日本人初のオリンピアンとなった金栗四三と、1964年の東京オリンピック招致に尽力した田畑政治を描いた、宮藤官九郎さん脚本によるNHKの大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』。
最後となる第4シーズンでは、いよいよ1964年の東京オリンピック招致にまつわる悲喜こもごもの展開が描かれていきます。東京都知事・東龍太郎(あずま・りょうたろう)を演じるのは、俳優の松重豊さん。
都内では、そんな松重豊さんを囲んだ合同インタビューが実施され、宮藤官九郎さんの脚本への思いや、嘉納治五郎(演:役所広司)やジャーナリスト・平沢和重(演:星野源)、オリンピック担当大臣・川島正次郎(演:浅野忠信)ら共演者に関するエピソードについて、ユーモアを交えて語られました。
宮藤さんの本は、本当にね、水のように身体が吸収してくれる
―― 田畑さんは、どんな存在だったのでしょうか。
「いだてん」は、歴史に基づいた大河ドラマですが、最近の史実やエピソードも多く、現在でも関係者がたくさん残っています。東龍太郎さんは誰もがイメージできる東京都知事という立場の人。一方で、マーちゃんは体協(日本体育協会※現在の日本スポーツ協会)の理事やオリンピック招致委員会の役職には就いていない、そんな「実態が分からない人」。オリンピックを影で操っていたフィクサー、悪く言えば黒幕という役どころですね。もちろん、宮藤(官九郎)さんのつくったフィクションの部分もあると理解していますが。
ドラマでは、スポーツ、オリンピックをキーワードに、戦前、戦中、戦後を描いていきます。かつて戦前に1度、東京でオリンピックを開催するという夢を掲げたが破れ去り、戦後に立ち上がってもう1回、東京でオリンピックをやろうと思い立った人たちのヒューマンドラマとして捉えています。そういう意味では、田畑政治は稀代のカリスマで、同時にインチキな男かもしれない。ギリギリの感じがするんですよね。危うい人。たぶん今の時代に生きていたら、潰されているんじゃないかなという。とんでもない発言も飛び出します。現代には生きる術もない、そういう人が、この時代を動かしていた。
東龍さん(※「東龍(とうりゅう)」の愛称で関係者の間で親しまれていた)は、田畑の同志ということで結びつきがあり、その熱意に打たれて都知事になる覚悟を決めた。その流れが、「実際、こういうこともあったんだろうな」と思わせるので、このドラマはリアリティを持って見ることができるんじゃないかな、と思いながら、僕は演じていました。
――それも、宮藤さんの脚本のすごいところでしょうか。
そうですね。マーちゃんは、周りの人も何を言っているのか分からないくらい、早口な人だった。それをテレビでやるのって大変なんですが、阿部くんは完全に踏襲してやっていた。その熱量に乗せられましたね。1964年のオリンピックが近くなってくる頃には、みんな、かなり年齢が高いんですよ。ドラマの後半なんて、登場人物がほとんど60代、70代になってくる。そういう人たちがね、つばを飛ばしながら熱量も高く言い争っている。見事に、宮藤メソッドというか、宮藤官九郎の言葉の力によって、僕らに乗り移ってくる部分がありました。非常にやりやすかったし、痛快でしたね。ええ。爺たちもこんなに元気なんだと。嘉納治五郎だって、もう晩年に近いのにあれだけ熱量を持って喋る爺だったじゃないですか。そういう人たちが時代を動かしていた、ということだと思うんですよね。
――以前から、宮藤さんのドラマに出たいとおっしゃっていたそうですね。出てみて、どう感じましたか。
具体的な話になるんですが、セリフが覚えやすかった。ものすごく、今回ね、ビックリするくらいミュージシャンが出ているんですよ。出演者だけで、歌番組が2時間分つくれるくらい(笑)。すごいメンバーが出ていますよね。彼らは歌詞を書くとき、日本語の持つリズムを意識するでしょう。宮藤さんも、そんな作家さんなんです。
これは喋り言葉とも違う。音の情報に言葉が乗せられて書かれている台本なので、大変なセリフでも覚えやすいんです。そこがものすごい魅力で。やっぱり僕ら、セリフを覚えるのは大変なので、これは助かりますね。悪口を言うわけではないんですが、作家さんによっては、2行のセリフでも覚えるのに10日かかる台本もある。これ、強く言いたいところなんですけれど(笑)。でも宮藤さんの本は、本当にね、水のように身体が吸収してくれる。驚きました。
だからけっこうね、後半戦とか、マーちゃんと言い争ったりするんですよ。オリンピックの選手村をどこにするか、みたいなことで。でもね、争う言葉が、宮藤さんの身体を通した言葉なので覚えやすい。ただの歴史用語、政治用語になっていないということじゃないですかね。
――第40回で、東龍さんは都知事になることを決断します。
このときの『やるってさ』と言う阿部サダヲの表情がまた、憎たらしいんです(笑)。でもやっぱり、1940年の幻の東京オリンピックで招致委員会に関わっていた人たちが、戦中に何を思って、戦後にどんな復興を目指していたかを考えると、東京都知事の周りを身内で固めることに意味があるんじゃないかと思えてくる。まずはマーちゃんと一緒に、戦争で取り上げられちゃった、返上しちゃったオリンピックを、焼け野原になったここ東京でやる、という1つの希望を実現する。それがまぁ、結果的には晩節を汚すことになるかもしれない。その予感はあるんですが、そこはでも、あれですよね。やっぱり、マーちゃんとオリンピックをやりたかった、という思いがあった。人間ドラマとしても、すごく理解できるところです。